生きていると安心したいとか
未来への安定などで
変化をすっごく抵抗するようになります
私自身も、変化が嫌で停滞した感覚で
どう今の状況を守り続けるのかって事に
力を注いでいって
色んなことを先延ばしにしてました
いずれ何とかなるとか
心の違和感に目を向けず
今をそのまま保たせることばかりの方に
思考を働かせて
生きていたのですが
本来自分らしく生きたい感覚が強いので
停滞の守りの方に入ると
どうしても八方塞がりになってしまい
自分が変化せざるおえなくなっていって
追い詰められては変化しを
またそこで停滞の時期を過ごし
また状況に追い詰められて変化するってサイクルが
あってそう何回も追い詰められていくと
これは何か変化のお知らせとして来てるんだなっていうのが
なんとなくわかるようになりました
分離の世界から始まって
どれだけこの思考や物質の感覚が強い地球で
より本来の自分らしく生きていくかっていうのを
人生を通して開いていくプロセスを踏んでいっているのだと思いました
一年前より今 今より一年後 さらに二年後って
より自分らしくってなって 制限の思考は無くなっていき
今の自分がワクワクすることってなんだろう?って感覚を
一生さらにさらにって追い続けていくんだなってわかってから
変化は一生あり続けるものなんだって思えるようになり
変化は決して悪いものとして起きていないんだなって視点になりました
もちろん変化の時がきたら反射的に
「怖い! どうしよう!」って気持ちがでるのですが
今までの見え方は前提が本質の視点とは違っていて
怖いものがきたから守り抜かなくては・・・と恐れおののいていましたが
変化はより自分らしく生きる背中を押しに来たって少しづつわかってくると
この出来事は何の変化のお知らせとして来たんだろう?って視点に
だんだん切り替わっていきました
今も若干練習中ですが・・・
そこが見えてくると
起きた物事にどう対処していくかで精一杯だった自分から
起きた物事のストーリーに入り込むっていうよりも
この出来事は自分がもう変わっても大丈夫だよってお知らせとして
来ていてそのどこが手放していいところなのかって
謎々をどう紐解いていこうかなーってなってきました
その自分の背中を押しに来たって視点にずっと立ち続けることがすごく大事で
ここの視点から降りてまたストーリーの中に入り込むと
私は我慢して耐え忍ぶことがすっごく嫌な人間なので
すぐに八方塞がりに戻っていってしまいます
だからここの視点の循環をちゃんと回し続けることによって
死ぬまでその時なりのワクワクや自分らしさをずっと考え続けるんだろうなって思います
その時なりのっていうのが結構重要で
20代 30代 40代・・・・とその時にしか味わえない素晴らしさがあるって
知っておいて、楽しみの変化が起きたときに
今の楽しさがすべてだと思い込んでいると
もう楽しめないんだ とか 色んな事が出来なくなってしまったと
楽しさを過去と比べてしまい
今の楽しさに焦点が合いづらくなって どんどん諦めの方にいってしまったりします
なのでその時すべて丸く収まるような
パズルのピースがはまる様なこの今の現状をすべて包み込んでくれる
ワクワクや楽しさがあることを諦めの視点ではく
謎々を解くように感じて行ってあげることが大事なのかなって思いました
昔はどこか終わりがあって
もう変化はしなくていい
仙人のような感じにでもなるのかな?と思っていました(笑)
苦しみや不安 ネガティブな感情が全く湧かなくなって
ワクワク 安心感だけ だけみたいな
でも一生人間である限りそのネガティブな感情の機能はあり続けるし
手術して取り出せるようなものでもないので
そこの沼に入るとそこには存在している世界があるのですが
この自分らしく生きる世界に視点を合わせ続ける事の循環によって
なぜネガティブな感情で物事をみなくて大丈夫なのかって
見えるような立ち位置に居続けられるんだなって思います
そこの視点では常に変化を追い続けているし
この変化していく感覚こそが
流れとしては当たり前だったのかなって思い
この流れを感じ続けて乗っていくことによって
その時その時の、安心感や楽しい感覚 素敵な繋がりに
居続けられるような立ち位置なのかなって感じました
必死に守り続けないといけない世界観より
変化が怖くて守っているものに気づき
自分らしく生きる人生の流れに乗っかって生き続けることが
本当に色んなことから解放された自由って感覚なのかなって思いました
また気づいたことやピンときたことがあれば皆さんと共有できたら嬉しいです
ありがとうございました