私なんかは分離の世界観が辛過ぎて
学校に行けなくなってしまいました
もちろん協調性や人とのコミュニケーション
色んなものを学んでいく事に学校って大事な場所なのをしっています
それとは別に自分の中の感情として
色んな自分の中の違和感がまあいいっかって
流されていくのがたまらなく嫌でした
友達関係の中でも
授業の中で起きたことに関しても
自分の中で競うこと
順位がつけられることによる自己否定
今まで気にしてなかった容姿に関しての
コンプレックスの話
先生との立場の関係
あちらこちらと言い表せられない感覚がありました
今なら思うのですが、自分じゃない自分を作り上げていく工程が
踏まれて行っているような感じって感覚です
思ってもみなかった悪口が自分の中から
その場のノリで出てくるようになり
人を少し馬鹿にする空気が生まれたり
クラスの中での何か駆け引きが行われているような感覚がしたり
もちろんとっても素敵な学校やクラス
友達も当然いると思います
個人として自分自身が体験して感じた体感が
こういう学びだったのかなって思います
今の自分が凄く思うのが
今までは 分離の感覚
分離っていうのは自分自身の本質と 自我が別物って思っていて
本質のエネルギーそのものが私であり
私という存在は個別の切り離されたものではない
自分という存在が豊かさの本質のエネルギーそのものであることを忘れて
切り離された私という自我が物語のストーリーの中に入り込んで
ない!ない!って不足の視点が自分の生きている世界だと思い込んでいる感じなのですが
これからは分離を深く体験せずに
ずっと繋がった意識で育っていき
自分が豊かさそもものであって
その意識が自分という肉体のベースにあって
そこからその豊かさそのものの自分がどんな風に楽しく
生きていこうかなーって思っている意識をもったまま
大人になって色んな経験をしていこうって決めて産まれてきた
人たちが増えてきているのかなって思います
分離をして、そこで人生経験を積んで
そこから、本質の自分に戻ろうと色々自分に意識を向けて
深く深く繋がろうっていうのが今までの学びならば
これからは、すでに繋がったところからしっかりとずれない様に
自分の意識に集中して
その自分と繋がった感覚がベースでそこの安心感から
人生経験を積んでいくっていう
流れでももういいんじゃない?って同じ年代の子と話をして感じました
人生の学びってこの繋がったところから
沢山体験してそこからさらに気づいて
自分の心地のいい人と交流して
地球の物質世界の具現化の仕方を学んでいくような人生経験をする
ルートしか もう、やりたくない!って訴えが自分に起きていて
他のやりたくないとかどうしても行動に移せないとか
勢いだけで物事を進めて行き辛くなっていて
今までの流れはとりあえず行動していく
沢山頑張った人が正しい!ってところから
行動と気持ちが一直線に通りがいい体感が起きる
本質のやりたい事と自分の気持ちがしっくりきているものじゃないと
何かストップがかかったり、やった方が正しいって思っているのに
動けないって感覚が起きているのかなって思います
もう生まれたときから分離しなくていいだよって
自分が知っていたのかもしれないって
それで色んな事が嫌で生きづらくなっていたのかなって
視点が変わって そこから自分の行動して生きていきたいのは
ここなんだなーっていうのが気持ちとして腑に落ちていったらいいですよね
今日の個人的平和の視点でした
また気づいたことやピンときたことがあれば皆さんと共有できたら嬉しいです
ありがとうございました