学校生活で感じてものって当時は中々言葉にならなかったりって感じだったんですけど
その違和感は今でもしっかりあるので色々と言葉になるようになりました
その一つが半音ズレたような感覚
どういう事かと言うと
友達って関係の言葉や先生って人を表す言葉一つにしても
何か違う!って感覚で
友達の子は居るしまあまあ仲良くもしているんだけれど
自分の中にかる元々どこかで知っているようなもののイメージとズレているって感じです
表面上何の問題もないように見えたり
一応言葉に表すならやっぱり友達って感覚にはなるんですけど・・・
でも絶対自分の中の感覚とずれてる!って必死に違和感が教えてました
でも皆はそんな感じの違和感がなくて
私だけその違和感の世界にいるように思ってしまい
色んなことがしんどくなりました
自分がおかしいのかなと思ったり
自分の大事にしていたいものがどんどん自分の中から無くなっていくような感じです
自分が色んな比較の感情にのまれていって
自分の発表が上手に出来ないところ
足が速くないところ
ノリが良くないところ
絵が上手でないところ
色々誰に何も言われてない事も自分で恥じるようになって
友達の悪口もそもそも自分はそんなに気になっていないのに何となく場の空気で言ってしまったり・・・・
そんな自分が大嫌いになっていき色んな事が辛くなって学校に行きたくなくなった
当時の心境を言葉にするとこんな感じなのかなって思います
学校の中で居続けると自分がなにか元々しっかり持っているイメージというか
大事にしている感覚からなにかずれたような歪な世界で過ごすのが怖くなり
でも表面上あんまり問題もないので先生に説明しても
うまく伝わる自信もなくいたのですが
母は私が何かを心底感じて行きたくないって訴えているの
受け止めてくれて、それには本当に救われました
でも自分の中でこの嫌さが上手に言葉にならないので本当に自分が我慢のきかない
我がままで何も出来ない人間だと思い込んでズルズル過ごしていたのですが
少しずつこの半音ずれたような世界しかないと思って傷つた自分に寄り添って過ごし続けたのちに
自分の感覚としっかりあった世界観がある事にちゃんと気づけるようになりました
それには本当に大きな変化だったと思います
そこでは私自身もありのままって感覚で良くて
自分の本来の気持ちとしっかり繋がりその繋がったところを大事にして動いていく
自分の感性がアンテナとなってそれに合った動きをして
違和感に向き合い 自分がどう生きたいのかを聞いてワクワクすること
心底安心するような感覚をベースにところで動くこと
そういったことを大事にしようとしてる人がたくさんいるんだなって気づいた瞬間でした
だからこそ自分がここで人と関わって 仕事をして生きていけるんだなと安心することが出来ました
この自分ベースの世界から今度は自分がずれないように
丁寧に自分の本心のアンテナに沿って 行動していく事が大切にしていけたらと思っています
自分の中にあった友達って感覚も 仕事ってものにあるイメージの言葉の感覚も
色んなことがちゃんと自分としっくり来ている
そして自分がそのイメージを言葉や体感でしっかりと捉えてずれないようにしてくことが大事だなって感じています
また気づいたことやピンときたことがあれば皆さんと共有できたら嬉しいです
ありがとうございました