私はライブラリアンだった。
国文学を学びたくて受験したけど失敗し、入学した短大では図書館情報を学んだ。
図書館司書になる勉強をした動機は、創作するためには必要なスキルだと思ったから。
縁あって、母校の司書になり、6年務めたけど、部署移動で図書館から出されたのち、退職し結婚した。
今朝、ふと、思い浮かんだ光景。
大きな図書館で訪れる人たちに書物や情報を手渡す自分の姿。
当時は、図書館司書になったのは、ただの偶然だったと、本気で司書になりたがってた同級生たちに申し訳ないな、くらいに思っていたけど。
私の魂が選んだ、望んだことだったんだ。
20年近く経って、突然、判った。
胸がいっぱいになって涙が出てきてびっくりした。
浮かんだ光景の中にいた私は、かつての私だろう。
知りたいという無限の欲求。
知り得たことを伝えるという行為。
私の魂が望んでいること。
アレクサンドリアの図書館のような巨大な書物の海に「情報」を求めて潜る。
「答え」を求めるわけではない。
あくまでも「情報」を求めるのだ。
得た「情報」を広げるスペースを持つ者。
広ければ広いほどいいスペースを更に広げるために用いる活力は、自身の好奇心。
出来る限りのスペースを広げて、そこに「情報」を置く。
俯瞰する。
そして、直観する。
終わりはない。
繰り返す。
かつて私はそこにいた。








