「普通、ああするよね~」
「これはこうするのが普通だよね~」
「普通、そう思うじゃん!」

自分でもつい言ってしまう、「普通」。

あるいは、

「これこれこうするのが常識でしょ」
「常識からしたらこうだよね」
「あれって、常識だよね」

これもつい「普通」に言ってしまう「常識」。

自分が「スタンダード」だと確認したいんだよね。

確認するために「普通」や「常識」だよね、と同意を求めちゃう。
そうして、自分も、他者もジャッジしてるんだ。

でもさ。
考えてみて。

その「普通」や「常識」って、
どこからきてるの? 
どこで得たの?

オギャーってこの世に生を受けて以降、
世代、生まれた国・地域、家族構成、友人関係、受けた教育・・・その他イロイロ
全く同じなんて絶対にない。

「今」の自分を形作っている背景は、誰とも一緒じゃない。

それこそ、実の親、我が子だって、違う。
ましてや、配偶者やその親なんて、違うに決まってる。

てことは、自分は思ってる「普通」や「常識」って、自分だけのものだよね。

だから、いいんだよ。
自分と他者が違ったって。


「私の常識は他人の非常識」



「他人の常識は私の非常識」


自分を、他者を、
ジャッジしてトゲトゲになって辛いなら、
思い出してみてね。