「志帆ちゃんにとって、『理想のお母さん』ってどんな?」


久しぶりに会った友人たちとランチをしていた。

最近どう?と振られて、
つい、我が家の受験生に対するイライラを
吐き出していたところで出た問い。


『理想のお母さん』と聞いて浮かぶのは・・・
TVドラマなんかで見た断片的な母親像ばかりだった。
こういうお母さんが普通なのかなぁ。
お母さんてああいうことするものなのかなぁ。
あんなことしてもらったことないなぁ。
誰かがやってるあの事を、私もした方がいいのかなぁ。
・・・

そうか。
『理想のお母さん像』はおろか、
自分がこうありたい『お母さん像』って、
深く考えたことなかったんだ。


娘歴43年、母歴15年にもなるのにね。


娘の立場だと、
母に対して、「こうあってほしい」という希望を抱いたことはない。
(と、思ってる)

母の立場だと、
ああするべき?こうするべき?・・・でも、出来る気がしない。
(というか、する気もない)


常に、外に理想や見本を見てはいるけれど、
それを実際にしない(やれない)自分に、
罪悪感も持っている。


そう。
全部、「~するべき」と思っちゃってるから。

実際には、全然やれてないのにね。


子育てに限らず、
いろんなことに、
「~するべき」と思いながら、
実際できない自分に罪悪感を抱いていたんだ。


出来ない自分に罪悪感があるからこそ、
受験生に対してイライラしてるんだわ。


なるようにしかならない。

って、わかっているのにね。


母は母。

私は私。

娘は娘。


全て、繋がっていないんだから。



私が何とかするべきという思いを、手放そう。


べきべき星人追放運動開始。