
こんばんは、おごし志保です。
空気読むとか
空気を読める人とか
よく使ったり、言われたりしてるけど
こんな感じかしら。
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その場の雰囲気から状況を推察して
自分が何をすべきか、すべきでないか
相手のして欲しいこと、して欲しくないことを
憶測して判断する。
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たった1度の言動が、一瞬にして
その場や人間関係を好転させてたり
ぶち壊しにさせたりもするから
人とかかわる上で
協調性という意味においても
重要視されているのも分かるような。
私自身のことも見直してみると
空気を読めているか?どうか?は別として
空気を読もうとする意識は、いつも有るようで
これ、今まで、
良いこと!当たり前にすること!として
信じてきたけど
この頃、思うのよね。
自分を失くしているかもしれないことを。
空気を読むためには
少なからず自分の意見を抑えたり
我慢することが必要で
それに慣れてしまうと、自分の意見というのが
言えいこともあるわけで
これ、わたしの経験だけど
相手や場のスムーズさや調和ばかりを
気にかけ、優先していると
自分の意見を見失い、自分のやりたいこと
求めていること、望んでいることが
どんどん置き去りになって
わからなくなっていったりするのよね。
極端な言い方かもだけど
調和っていのはさ
自分を置き去りにして、保たせるものなのか???
その疑問には
どこかしら自己犠牲が
潜んでいるような気がするし
察してしまう、しまえる自分のこと
ちょっと厄介に思えたことも
多々あったりしてね。
空気を読む、読まないに
正解があるか?どうか?は
結局のこところ、分からないけど
(正解があるのか?どうか?も・・)
状況によって違ったり、左右したりもするけどさ
空気を読まないも選択できるわけで
どちらも選択できるのは
空気が読める人だとしたら
自分を「自由」という位置で
都度、選択したっらいいだけの話かもしれない。
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