突然この世を去った友人

2年前の7月、30年来の友人が逝去した。突然だった。6月になると私は友人の死を強く意識する。おそらくこの先もずっとそうだろう。私はまだ、彼女の死を受け入れられずにいる。

 

2年前の6月中旬、私は友人(仮にAとしよう)とラインで互いの近況報告をして、近く会おうと約束した。Aとは、メールやラインで交流していたものの、長く会っていなかった。Aは、40才を過ぎてから出産したこともあり、まだ子供が小さかったし、フルタイムの仕事をしていたので、私はAがさぞかし多忙であろうと思い、子供がもう少し大きくなったら、ゆっくり会おうと思っていた。

 

Aとのラインで、子供が小学校に上がり、その小学校の近くに引っ越したことを聞いた。かなり遠くなったが、私が出向くので近いうちに会ってゆっくり話そうということになった。その後、すぐにコロナが再度勢いを増したので、少しおさまってから、また連絡しようと思っていた。

 

 衝撃

残暑もやわらぎ、コロナも落ち着いてきた頃、Aとの共通の友人から連絡がきた。彼女は、Aが亡くなったと友人から聞いたというのだ。私は、何かの間違いだと言った。だってAとラインでやりとりしたのは少し前の事で、Aは元気でいつも通りだった。

 

友人にAの死を知らせてくれた人もまた人から聞いたとのことで、誰もAの親族から直接聞いたわけではなかった。私は、すぐにAにラインをした。Aは、いつもその日中に返信をくれる人なのだが、夜になっても返信どころか既読にならなかった。きっと仕事や子供の事で忙しいのだろうとそわそわする気持ちを落ち着かせた。

 

翌日も既読にならなかった。ラインの電話に電話してみたが応答はなかった。その翌日、スマホの電話番号にかけた。内臓が口からでてきそうな緊張感もつかの間、私の視界が涙で一気にぼやけた。スマホからは、「お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません」という音声が繰り返されていた。Aは本当に亡くなってしまったのだろうか。私はしばらく泣いた。

 

確かめなくてはいけない。私はAの夫に連絡をしなくてはと思ったが、A一家は子供の小学校入学に合わせ、引っ越した。私は最後のやりとりで現住所も自宅の電話番号も聞いていなかった。

 

昔は、連絡手段は自宅電話番号のみだったから、引っ越したら必ず教えあっていたけれど、現代はスマホさえあれば、いつでも連絡がつく。便利だと思っていたけれど、このような事態の時、途方にくれる。

 

私はだいぶ前から年賀状はやめていた。特に親しい友人には。だから、Aの夫が私の連絡先を知ることができて連絡をくれる可能性は高くはないと思った。Aの引っ越し前の住所に手紙をだせば転送されてAの現住所へ届くのではないかと思ったが、転送届をしているか100%の確信はもてない。私は途方にくれた。

 

ふと思いつき30年以上前から持っている住所録を見てみた。あった。Aの実家の住所が。私はAの実家にA宛ての手紙を書いた。今すぐ連絡がほしいと。一縷(いちる)の望みにすがった。

 

 残酷な事実

2日後、私が病院の待合室にいた時に、スマホに電話がきた。知らない番号だ。私はしばし、その番号を見つめた。電話が切れた。そしてまたすぐに同じ番号の電話がきた。Aの親族ではないかと、病院を出て、おそるおそる応答した。

 

電話はAの兄だった。その瞬間、私は膝から崩れそうになり、病院の壁につかまり、立っているのがやっとだった。Aは亡くなったのだ。7月に。私とラインでやりとりしたわずか3週間後だった。

 

原因は心臓だった。Aは、どこも悪くなかったはずで、本人もそう思っていた。私が心臓を患った時も、手術(カテーテルアブレーション)の時も、とても心配してくれたし、97%の成功率であるアブレーションが不成功に終わったことについても、たいそう憤慨してくれていた。そのAが心臓で突然死するなんて。

 

Aの兄はAの夫の電話番号を教えてくれた。後日、Aの夫から詳細を聞いた。Aは夫が出張中で、子供が学校に行っている間に亡くなったのだ。

 

私はしばらく眠れない日々が続いた。あの時、近く会おうではなく、日にちを決めてしまえば良かった。それが、もし、Aが体調に異変を感じた頃ならAは延期の連絡をしてきたはずだ。私は、Aの症状を聞き、病院へ行くようしつこく言ったはずだ。

 

そしてAが亡くなる日、Aに連絡がとれなくなったら私は救急車を呼べたかもしれない。Aの住所はわからないが、子供の小学校は知っている。学校に連絡して救急車を呼んでもらえば。でも、学校はまともにとりあってくれるだろうか。そうだ、近くの交番で警察に理由を話し、私の免許証を見せて、いたずらでないと証明してもらい、学校へ電話したら信じてくれるだろうか。

 

私の妄想は広がっていく。手に汗がにじむ。もうAは亡くなっているのに。それでも、「もし」が頭の中でまわっている。

 

Aと最後に会ったのはいつだっただろうか。長く会っていなかった。これから会うはずだったのに。Aがこの世からいなくなってしまった悲しみは計り知れない。それに加え小学1年生になったばかりのAの子供と穏やかで感じの良いAの夫の無念さを思うと胸がしめつけられた。

 

 

Aが亡くなってもうじき2年になる。この2年で、私は長く会っていなかった友人に次から次へと会った。Aに会えなかったこと、本当に後悔している。自分はいつ死ぬかわからないなんて思うことはよくあるけれど、友人だってそうなのだ。友人と会った後、別れ際に「じゃあ、またね」と言うけれど、それが最後なんて思ったことなどなかった。でも、確実にまた会えるなんていう保証はないのだ。

 

私は、友人たちから、精神的に強い人だと思われている。自分ではわからないが、みんながそう思うのだから、そうかもしれない。でも、思う。長生きしすぎて、親しい友人たちが皆、私より先にこの世を去ってしまったら、どんな精神状態になるのだろう。恐ろしくて耐え難い。願わくば、みんな私より長生きしてほしい。

 

年を重ねるということ、長生きするということは、おめでたい事なんだとは思う。しかしまた、つらく悲しい別れも経験していくことになるんだとも思う。

 

私は、Aの子供と夫の幸せを心から願っている。

 

 

 

 

 

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