最悪な女医

発作は止まったが、看護師に待つよう言われた私は、しかたなく待合室で待つことになった。ほどなくして、呼ばれた。診察室のドアを開けると30代半ばくらいの女性の医師がいた。彼女は、私が入るなり、心電図を見た限り命に別状はないので、最後にまわしたと言った。面食らった。

 

あきれて何も言えなかったと書きたいところだが、私は言った。心電図を見て命に別条がないとおっしゃったが、私が心電図をとったのは、病院へ着いてから1時間以上経ってからだと。

 

その医師は、すぐさま反論した。「それはすみません。私のところにカルテが上がってくるのが遅かったので」

 

何とも、言い方が挑戦的だ。それはを強調するところが(苦笑)。カルテを遅く持ってきた看護師か誰かが悪いので、自分に落ち度はないと言いたいようだった。

 

そして、次の言葉がまたすごかった。「そんなに苦しいなら、救急外来へ行って下さい」それこそ開いた口がふさがらない。

 

私は自分でもこの発作がすぐに命に関わらないことを知っているからこそ、平日の日中なのだから、病院の診療時間内に、受付に電話をして来たのだ。命に別状のない私が、病院の診療時間内なのに救急に行くという発想はなかった。

 

そもそも、発作性上室性頻拍を発症して以来、3年間この総合病院に通っている。私の情報はすべてこの病院にある。深夜の救急外来で、発作を止めるために投与してくれた点滴の量だってカルテに記載されているはずだ。心電図をとった後、特に問題

がないなら、発作を止める点滴を投与してくれれば良いだけのことではないのか。

 

もし、病院のポリシーが、予約日でない患者は、いかなる理由でもその日の診察の最後にまわすというものであれば承服する。しかし、そんなポリシーはないはずだ。

 

発作がとまらないので午後に伺いたいと、午前中にあらかじめ病院に電話をした際、到着後すぐ診察になるか確証はないが、午後の診察時間前に早めに受付するよう言われた。総合受付の人は、早めに来ていれば最初に診てもらえるだろうと思っていたようだった。

 

さらに循環器内科の受付でも、受付してから2時間以上経ったので、もしかして元々予約日ではない私の診察は一番最後に回されるのかと聞いたら、そんなことはあり得ないと言われた。

 

だから、ただ単に、医師、看護師、受付の意志の疎通ができていないだけなのだ。

 

以上のことを医師に言うか言わないか考えた。おそらく3、4秒だ。私は言わなかった。もし、私が言ったら、彼女はまた反論してくるだろう。それで私はもっと気分が悪くなるに違いない。

 

30年前の大学生の私なら絶対戦ったのだが(笑)。わかりあえない人もいることを学んだし、余計な戦いは労力の無駄である。それにその時、私は心底疲れていた。何しろ朝から10時間ほど心臓が異常なスピードでバクバクと波打っていたのだから。発作は自然に止まったものの、まだほわっとしていたし、疲弊していた。さっさと帰りたかった。

 

個人的には、特段に医師に感じの良さや人柄の良さなど求めてはいない。ただ、必要以上に冷酷であるのは勘弁ねがいたい。程度の差はあれ、病院に来る患者は具合が悪いのだから。精神的にもハッピーな状態ではないのだから。この女医も悪気はないのだろう。誰も注意もしてくれないだろうし、なんだか気の毒な気さえしてきた。

 

女医はこのままだとアブレーションをするしかないとか何とか言っていたので、適当に話を合わせて、診察室を出た。

 

 決断

会計を終え、病院を出た。私の背後で病院の自動ドアが閉まった瞬間、私は、もうここには来ないと決めた。今回の件で、癇癪(かんしゃく)を起して、決めたのではない。診察室を出てから会計が終わるまでの間、冷静に考えた。

 

今回の出来事は確かに引き金にはなった。でも、この病院は医師が変わりすぎる。この女医も最近来たはずだ。数ヶ月前の循環器内科の外来の担当医師の中にはいなかった。私の担当医も、わずか3年で2人目だし、2年か3年で担当医師が変わるのも落ち着かない。

 

循環器内科の受付では、私と同年代や少し上の人達が、声を荒げているのを何度も見てきた。彼らは、たいてい親と思われる高齢者に付き添っていた。おそらく、今回の私のように理不尽と思われることがよく起きるのだろう。

 

そして、もう1つ、私は決めた。手術(カテーテルアブレーション)を受ける。心臓を焼くなんて怖くて決心がつかなかったけれど、やるしかない。この3年間、発作のせいで私の生活は以前とは違うものになっていたし、もう、振り回されるのは、うんざりだ。元に戻りたい。

 

カテーテルアブレーションを受けるなら、心臓の病気で死にかけた叔父を救った医師がいる病院で受けるよう母から言われていた。その病院にすぐに行くことにしよう。しかし自宅からはかなり遠い。アブレーションをするまで、面倒をみてくれる病院も探そう。

 

2022年1月12日(水)新たな決断をした日だった

そして私は翌月、2月にカテーテルアブレーションを受けることになる。

 

次回へ続く。

手術(カテーテルアブレーション)へと踏み出した一歩【発作性上室性頻拍⑦】

 

 

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