課せられた想い -生きるー | 明日が笑顔になれますように…

明日が笑顔になれますように…

慢性疼痛症候群・身体表現性障害・抑鬱・ADHD・ボーダー
…たくさん病気はあるけれど、笑顔を忘れずに生きていけたらいいなぁ(’-’*)
日々思った事・感じた事を綴っていきます!

こんにちは。

みなさんのブログになかなか訪問できなくてごめんなさい。そして、ブログも更新ができていません。

パソコンやスマホと向き合う時間が激減しました。

というか・・・今、とても無気力で、抑うつ状態が酷いです。

今日ブログを更新しようと思ったのは、みなさんにお話を少しでも聞いてほしかったので、パソコンを開きました。

 

2月頭から仕事にも行けていません。もう何もかも全てに於いて疲労感でいっぱいです。経済的に負担は大きいけれど、職場に向かう事さえも億劫になっています。

 

2月1日に、親友がガンで死んでしまいました。46歳でした。

私が知ったのは地方新聞でした。親友なのに・・・?それは去年からちょうど1年、連絡を取り合っていないからです。

20年来の大親友でした。何かあれば、なくてもほぼ毎日連絡を取り合っていました。

『ケンカ』です。絶交しました。信頼していたけれど、一瞬で崩れてしまいました。

事あるごとに注意されていました。怒られていました。私の為に叱ってくれていました。

「そんなんだから、しーちゃんはダメなんだよ。」

でもメンタルがよわよわの私は、我慢の限界でした。今までずっと「そうだよね、ごめんね。」と言っていましたが、もう我慢できませんでした。

口が悪かった親友。直球で、悪いことには「悪い」と言える親友。

 

そして心の優しい、心が温かい人でした。

 

去年、大腸ガンのステージ4で末期と言われていました。多分、余命宣告もされていたでしょう。

 

私は、迷いに迷ってお通夜の前に手を合わせに行くことにしました。会わないで、後悔するより・・・本当に最期なんだよと思って・・・。

時間ギリギリに着いたので、会場にはたくさんの人がいました。それぐらい慕われていた人なんだなと、改めて思いました。

遺影を見て・・・。なんで写真があるのだろう?と思いました。これは何かの間違いなんだと思いながらも、認めたくないけど、その場は手を合わせて拝みました。喪主の旦那様(パパ)も、絶縁する前まで仲良くして下さっていました。気丈な振舞いでパパは「しー。ありがとな、ありがとな。」と言いました。私はただただ「ごめんね、ごめんね。」と言いました。

 

それから大泣きして荒れたのは、2日後くらいでした。

「なんで死んじゃうの?死ぬってどういうことなの?」

「お話したいよ。会いたいよ。親友のところに行きたい!」

「お子さん4人もいるんだよ。大腸ガン以外は元気だったもん。私と交換すればよかった。私が死ねばよかったんだよ。」

彼に当たり散らしました。騒いで騒いで、涙も鼻水も止まりませんでした。

「ウソでしょ?きっとどこかであの口で話してるんだよ。ねぇ、ウソって言って。お願い。」

 

彼も泣いていました。私と親友が深い付き合いという事は良く知っていたし、ご飯食べに行ったりしていました。

「最後のケンカは、彼女の優しさだったのかもね。」

彼がそう言いました。意味が全く分かりません。ケンカが優しさ・・・?

「Shihoに強くなってほしくて、わざとケンカして、突き放したような気がするんだよね。わかんないけど、そう思ったよ。」

泣きました。泣きました。

彼女ならする、きっと。だって優しい人だから。私の事を想ってそうするに違いありませんでした。

親友と私の仲を知っていた人は、口々にそう言っていました・・・。

 

彼女の死をまだ受け容れられません。認める日が来るかどうかも未知です。

整形外科の先生が言っていました。

【彼女から生かされた命なんだよ。精一杯生きなきゃね。】

【親友の代わりに死にたいって・・・、それは彼女が望むかな?逆に怒られると思うよ。】

そうですよね。うん、生きなくちゃ。強く思いました。

 

『しーちゃん、私より先に死ぬなよ。

絶対に幸せにならないと承知しないからね。』

長文・乱文失礼しました。読んでくれてありがとうございました。