私は以前から、人の価値や才能や自信について話してきました。
それは、私自身が死にたいと思うほど自分とこの世を嫌いになって、
実際に自殺未遂を繰り返した人間だから、
死にたくなるほどの自信喪失、自己否定感。
自己や世間への魅力の喪失から、
誰かにいい影響を与える形で、情報発信できないかと思っているからです。
つい先日、映画『ULTRAMAN』を全編視聴しました。
その後、後日談にあたるウルトラマンネクサスも、
動画サイトの抜粋でですが、視聴させていただきました。
この2作品、ビジネス的に言えば
広告戦略とターゲッティングを誤ったせいで失敗した、
隠れた名作だと思うのですけれども……
映画ULTRAMAN(ウルトラマン・ザ・ネクスト)は
一家のパパが偶然のイタズラからウルトラマンになって、
凶悪な怪物と戦うことになるストーリー。
得体の知れない銀色の巨人に自分が変身してしまうことや、
凶悪なモンスターと命がけで戦わなければならない恐怖や葛藤などが描かれます。
その中で、一家の父である主人公が、
数奇な運命の迷いや恐れを振り切り、
自らの意志で人類……というより、
家族のために戦い抜く覚悟を決めるシーンがあるのですが、
ここで私は思わず声が出るほど感動して泣いてしまいましたね。
大切なものを守る意志の物語ってのは、
大人になった今でもやっぱり熱くてかっこよくて、頼もしくてワクワクするのです。
続編ストーリーであるウルトラマンネクサスでも、
何も言わないままのウルトラマンの力を授けられた人間が、
わけもわからないまま、自分の力の意味を追い求めながら、
凶悪な怪獣(ビースト)と、
毎回苦戦してボロボロになりながら戦い続けるわけです。
(それゆえに、最終話のあれは爽快感という言葉でも足りないくらい心を揺さぶってくれるんですが)
ネクサスのストーリーでは、自らがウルトラマンの力という特別なものを持ちながらも、
怪獣に襲われて犠牲になっていく人たちを助けきれないという事実に
苦悩する変身者の姿が描かれます。
大切なものを守れない、救えないというのは、
ウルトラマンの世界に限らず、
現実の世界でも苦悩を呼ぶものですね。
現実の世界では当然ウルトラマンの力を頼ることはできません。
(我々にはメタフィールドは見えませんし、M.Pの人たちに記憶を消されている可能性も無きにしも非ずなので、深くは言及しませんが)
かわりに、べつに凶悪な怪獣と戦う必要もないのですけれども……
それでも、日本では毎年、
とんでもない数の人が自殺や病気や事故で死んでる現実があるわけです。
現実の世界に怪獣は居ませんが、
恐ろしい力で人の命を奪ってしまうものが存在していることは、
間違いないと思います。
ウルトラマンを頼れないなら、やはり頼れるのは自分の実力。
先日選挙がありましたし、
私も投票へ行きましたが、
結局政治というシステムも他人任せ。
他者になんでもかんでも依存しすぎることは、
いざというときほど頼りない結果を生むことになる。
だから、現実の世界で戦える実力を、
一人一人全員が持つ必要があると思う。
実力と言っても、
日本の民間人がウルトラマンに出てくる
防衛隊のように戦うわけにはいきません。
資本主義社会である日本ではお金が力ですし、
もっと突き詰めれば、経済活動の根源にある
生活力やコミュニケーション能力が要求されます。
現実の世界では、人はウルトラマンにはなれないかもしれません。
ただ、現実の世界では、勉強や訓練をすれば強くなれます。
強くなって、自分自身や、大切な誰かを助けることはできます。
強くなれば大切なものを救えるなら、
強くなればいいじゃないですか。
強くて、大切なものを守れる人が、無価値なわけがない。
魅力的じゃないわけがない。
逆に、現実が死にたいほど苦しいときほど頭を使って戦えるようにならないと、
たとえその場で死にたいと言って自殺をしなくても、
死にたいほど苦しいままで一生が終わってしまう。
戦うためにお金が必要なら、お金を稼げばいい。
健康が必要なら、健康になればいい。
時間が必要なら、時間をつかみ取ればいい。
知識が必要なら、勉強すればいいんです。
そんなふうに、ちょっと熱くなっちゃいましたね。
ウルトラマンって、やっぱりヒーローなんだなぁ。
ゴチャゴチャした記事ですけれども、
熱意は伝わることでしょう。
童心を忘れかけてしまっているなら、
ぜひともウルトラマン、昭和のでも平成のでもいいですから、
じっくりと視聴してみてはいかがでしょうか?