皆様、こんにちは!
支配者と申します。

久々の記事ですが、今回は「駅名」について扱おうと思います。鉄道ファンの方もそうでない方も、奥深い駅名の世界へとご案内致します。初回のテーマは新幹線によって変わってしまった駅名、東日本編Part1です。

それでは!

①東那須野駅(現那須塩原駅)


まずは栃木県北部、那須観光の玄関駅である那須塩原駅を紹介します。隣駅は特急も停車する東北の玄関口・黒磯、塩原温泉が近いかつては急行が停まった西那須野駅です。東那須野駅は普通しか停まらない小駅でした。よくある話ですが、新幹線駅建設が決まった際に黒磯・西那須野の両駅が揉め、妥協点として間にある東那須野に駅を設置することになりました。



これから取り上げる駅もそうですが、知名度の低い駅や優等列車が停まらない駅は新幹線開業と同時に駅名を変えるケースが多々あります。多くの場合は近くの主要駅の名を取り入れたり、広域地名を採用するようです。東那須野駅は当初新那須という仮称でしたが、開業間近になり「塩原」を入れる動きがあり最終的には「那須塩原」に落ち着いたそうです。



余談ですが、東北新幹線の開業当初の駅の所在地は「黒磯市」でしたが、平成の大合併で近隣の「塩原町」「西那須野町」と合併し「那須塩原市」となりました。この市名はやはり新幹線駅の影響力が大きそうです。



黒磯駅の駅名標



②磐城西郷駅(現新白河駅)


かつては奥州三関の一つ「白河の関」が置かれ、百名城の小峰城も著名な白河市ですが、実は新白河駅の所在地は白河市ではありません。実際にはホームの一部は白河市なのですが、鉄道駅の所在地は駅長室の所在地で決まるという規定に則って当駅は「西郷村」に所在しています。新幹線駅で唯一「村」に所在する駅としても知られています。



地図を見ると分かりますが、線形の都合で白河駅に新幹線駅を設置することは難しかったようです。白羽の矢が立った磐城西郷駅はやはり白河の知名度に押され、また西郷と白河の境にあったこともあり「新白河」に改名する運びとなったのでしょうか。



旧国名「磐城」を冠していたのはおそらく当時既に存在した「西郷駅」と区別するためでしょう。仙北鉄道や島原鉄道に本家「西郷駅」が存在していました。(島原鉄道はともかく、仙北鉄道は比較的距離が近く区別の必要があった?)


E721系電車


③陸前古川駅(現古川駅)


2006年に古川市が周囲の町と合併し現在は大崎市に位置する古川駅ですが、この駅も特異な歴史があります。1913年に陸羽東線の古川駅として開業したものの、東北本線の古河駅と駅名が似通っていることから鉄道荷物が誤って届く事態となり、1915年に「陸前古川」へ改称する運びとなります。


1971年に東北新幹線に古川駅の設置が決まり、1980年に新幹線開業に先立って旧駅舎から東へ300メートル程離れた位置に新駅舎を設置、このタイミングで駅名を「古川」へ戻しました。この頃には鉄道荷物は縮小傾向にあったのでしょう、古河と区別する必要も薄れたのかもしれません。1982年には東北新幹線が大宮から盛岡まで開通し、古川駅は東北新幹線と陸羽東線が交差する駅となりました。


古川駅の駅舎-画像はWikipediaより


④矢沢駅(現新花巻駅)

北上~盛岡間にある新花巻駅は、1982年の東北新幹線盛岡開業の3年後の1985年に地元負担の請願駅として設置されました。同時に付近に存在した釜石線の「矢沢駅」を新幹線との交差地点に移転した上で名称を「新花巻」としました。実際は手続き上では矢沢駅を「廃止」、新花巻駅を「新設」という扱いになっていますが、事実上の移転&駅名改称となっています。



余談ですが、釜石線の新駅設備設置の際に、地形の関係で当時の国鉄の規程を超える勾配で建設することになったのですが、ホーム長に余裕を持たせることで特別に承認されたそうです。



矢沢駅があった箇所は、線路と線路沿いの道路が不自然なカーブを描いている-画像はWikipediaより


今回はここまでです。ご覧いただきありがとうございました!


次回の記事が完成しましたらここに貼り付け致します。