この記事は2019年の9月に書いたものです。

5年前に私たち家族に起きた出来事。

子育てのブログを閉鎖するにあたり、こちらの記事だけは残しておきたくて移行させています。

 

 

入院をする日がきました。

 

休日だったこともあり、夫が一緒にいてくれたため心は落ち着いていました。

落ち着いていたのは、散々悩んだことにすでに答えが出ていたこともあります。

 

 

決めてしまったからには前に進むしかないのです。

 

そんな私に看護師さんは戸惑っていたようでした。

こんなに辛いことが起きているのにどうして明るいのか、というようなことを言われました。

 

 

別に明るい気持ちでいたわけではありません。

 

私には最後に、娘を送り出してあげなければなりません。

苦しまないように、きれいなままの状態で産んであげたいと思っていました。

 

強い気持ちで居なければとても耐えられることではありませんでした。

 

中期中絶の処置

 

その日の夜のうちに、ラミナリアを入れました。

数本入れられたことは確かですが、何本だったのか分かりませんでした。

 

処置の間はかなり痛かったのですが、その後は特に痛みはありませんでした。

 

どんな痛みがこの先あるのかなんて分からないので怖い気持ちもありました。

それでも耐えるつもりでいました。

 

その痛みは半ば罰を受けているような感覚もありました。

 

特に痛みはなかったものの、眠れない夜を過ごしました。

 

中期中絶、入院2日目

 

この日は朝から陣痛を起こす薬(正確な名前は分かりませんが座薬のように直接入れるものでした。)を3時間おきに入れるとのことでした。

処置は朝の9時からでした。

先生は、うまくいけば今日中に、時間がかかれば明日には出産になると説明を受けました。

 

全体的な詳しい流れが、どんな痛みでどんな風にお産が進んでどんな出産をするのか、あまり詳しい説明もありませんでした。

私が尋ねなかったからかもしれません。

 

 

病室は他の出産の人とは全く別の場所でひっそりとしています。

病室から出ることもなく娘のことを考えては泣き、もう決めたのだからと気を取り直して奮い立たせ、耐えられなくなり、何も考えなくて済むように音楽を聴き、本を読み、ゲームをして気を紛らわせました。

 

 

心はずっとうわの空でぽっかりと穴が開いていました。

 

それでも時間は進み、次の薬の時間になり、また次の薬の時間になり、徐々にお腹の痛みが増していました。

15時の投薬の前にはかなり痛みが増してきていてすでに陣痛は始まっています。

 

誰もいない静かな病室で、一人でその痛みを感じ、いっそこのまま娘と一緒に私も死んでしまえたらいいのにと頭によぎります。

 

最初に娘に病気の疑いがあると分かったとき、私はいつ自分が死んでもいいように身辺を片付けないとなと思ったんです。

自分の命を引き換えても娘を産みたいと、娘の命を守りたいとその瞬間迷うことなく思っていました。

 

 

それなのに中絶をすることを選び、小さな娘を出産しようとしています。

 

これほどに辛いことがあるでしょうか。

 

静かで、希望のない悲しい悲しいお産。

 

最後に一緒に頑張ろう。

そしてまた元気な体でお母さんのものとに戻っておいで。

 

せめて上手にきれいなまま産んであげたい。

 

その気持ちだけで陣痛を耐えました。

 

祝福もない、産声もない出産

 

夕方、激しい痛みの中にお腹の中で何かがはじけました。

と同時に破水して、そのまま娘はすんなり産まれてきました。

 

出産のときは痛みがマヒしていたのか、まだ小さかったからなのかほとんど痛みは感じませんでした。

 

誰も何も話しません。

産声もありません。

おめでとうもありません。

 

分娩室で、ただ器具の音だけが響きわたり沈黙の時間が流れていました。

 

入院してからは一度も心音を聞くことはありませんでした。

娘がいつ息を引き取ったのかそれすらも分かりませんでした。

 

私の子宮からは、娘よりも先に剥がれた胎盤が出てきました。

あとからあとから、あのときすでに息を引き取っていたはずの娘はまだ私のお腹から出たくなかったのかもしれないと何度も何度も思い返してしまいます。

 

 

 

たったひとりで、ちいさなちいさな娘を産みました。

 

 

 

仕事を切り上げて、慌てて駆け付けた夫は泣いていました。

1人で出産させてごめん。

娘には申し訳ない、と。

 

私はひとりで、娘と向き合う時間が持ててよかったと思っています。

 

看護師さんが娘を病室に連れてきてくれました。

 

両手にすっぽり収まるくらいのちいさな娘でした。

耳は夫に似ていたし、手は私にそっくりでした。

 

何度も何度もエコーでは見ていましたが、やっぱり口唇口蓋裂があり臍帯ヘルニアでおへその横に穴が開いていてそこから腸が飛び出していました。

 

もう息をしていない娘はただただとってもかわいかったのです。

とてもいとおしく、とても大切な存在だとはっきり感じました。

どんなに重い障害があっても可愛い娘には変わりないのです。

 

いとおしくていとおしくてたまらなかったのです。

 

お腹の中でなくなる可能性も十分にある。

産まれても蘇生ができるかどうかはわからない。

蘇生ができても冷たい手術台に何度乗るのだろうか。

怖いと感じるのだろうか。

娘はしあわせだと感じられるのだろうか。

 

考えに考えて出した答えでした。

 

もしかしたら、無事に生まれてこれたかもしれない。

どんなに痛くても産まれてきたかったかもしれない。

娘の命がつきるその最後まで一緒に頑張ることができたんじゃないか。

 

 

私はこの先、違う選択があったんじゃないかとずっとずっと苦しみ続けることになりました。