みんなカルビって大好きだよね!うんうん!やっぱカルビカルビ!!
…この場合の「みんな」って誰のことだ?
少なくとも私はカルビが好きじゃない。
ということは、私はみんなに入っていないってことか。
みんなに入らない私は、どこに入るんだろう?
どこにも入っていないということか…。
どこにも入っていない私。
そこまで考えて、詩織は顔を上げた。
窓外には新緑の木々が陽光を受けて輝いている。
春である。夏が来る。
生きとし生けるものが、その命をこれでもかと燃やす季節であるらしい。
しかし、詩織の命は燃焼する気配が今年も無い。
クラスメイトが日焼けして夏休み明けに登校し、それぞれの思い出を語りあう日のことを思い、いまから憂鬱だ。夏休みは今年もきっと冷房の効いた部屋で大半を寝て過ごすことになる。
中には、SEXをしてしまったとひそかに語り合う奴等もいるのだから、頭がおかしくなりそうだ。
私は、SEXせずに一生を終えるんではとリアルに胸の奥がグッと縮むのを感じて、ひどく憂鬱になる。
詩織は手にしたスマホの画面を見た。
ラインも、メールも電話も、もちろん着信していない。
放課後のしんとした図書館。
数名の生徒が本を読んでいるが、何だかどいつもこいつもイケテいない奴らに思えて腹が立つ。その中の一人である自分を思ってこれもまた気が狂いそうに腹が立つ。
と、ラインが着信したので開いたら、お母さんから帰りに牛乳を買って来て欲しいとの連絡だった。今晩はすき焼きよと、文末に笑顔の絵文字。
すき焼きは…、好きだ。あれはカルビを使わないからな。
唾液が出るのを自覚して、そんなことで少し心浮き立つ自分がまた腹立たしかった。今の今まで、私は自分の孤独を嘆いていたではないか。
小さくため息をついて、スマホの中にある漫画を見る。
ギャグのキレがいい男子が戯れる漫画。
と、何やら気配を感じて、目を上げたら隣のクラスの三輪とかいう小太りの男子が黒縁眼鏡の奥から、私のスマホの画面を見ていた。
三輪はこちらがそれに気づいたことに気づいて、目を逸らすかと思ったら、こちらと目を合わせて来た。
男子と目が合ったことなど高校入学以来、今、二年の春までなかったから驚いてとまどった。
どうしていいか分からずに、えっ…?と情けない声が漏れた。
「漫画、好きなの?」
三輪が、少し鼻にかかった、子供っぽい声でぶっきらぼうに聞いてきた。
三輪も少し緊張している様子なのが、分かった。
「その漫画、面白いよね、俺、全部読んで、結構笑ったよ」
「う、うん…」
そう言うのが、やっとだ。
一瞬、会話が途切れて、三輪の片足が引かれ三輪は半身になった。あ、行くんだと思ったが、三輪はまた体を完全にこちらに向けて
「三木さんだよね?A組の。漫画、好きなの?いつも放課後ここで読んでるよね?」
と聞いてきた。
三輪は、俺もこの時間は図書館で漫画を読んでいると言った。
悪いとは思ったんだけど、私のスマホの画面が見えて、漫画の好みが近いと思っていたと言った。
三輪の手は話している間、世話しなくパタパタと動いた。
今期見ているアニメはあるかと聞かれたので、見ているアニメを二つ三つ答えた。その中に三輪も見ているアニメがあって、そのアニメのキャラクターのことやら、声優さんのことやらを話した。好きな声優さんが一緒だったことが分かった。三輪はその声優さんのライブに行ったことがあるという。えー、本当に?うらやましいと言ったら、チケット代を親に出してもらうのが本当に大変だったとはにかんで笑った。笑い慣れていない、不器用な笑顔だった。
私もつられて、笑った。きっと、ひきつるような笑顔だったと思う。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「異世界に転生とかしたくない?」
三輪くんは、コーラを飲みながら話を振ってきた。
なかなか気の利いた話題だと思って私は乗っかる。
「うん、したいね。魔法とか」
「転生したらめっちゃ強いもんね」
「こっちでは全然冴えないのにね」
「うん。」
コンビニの前のベンチ、私たちは陽光に照らされながら、コーラを飲んでいる。からあげくんもある。
かび臭い図書室と比べれば正にここは異世界のようだ。
強い光に全ての物が照らされて、世界が白っぽく見える。眩しい。
男子と並んで座って話すなんて、いつ以来だろう。
三輪くんは、うちの学校に漫研が無いことが残念でならないと言った。私もそれは一緒で、なんだか嬉しかった。
同じ学校の男女の生徒が数人、賑やかに話しながらこちらに来た。
私と三輪くんは黙った。
イケテない二人が一緒に居るところを見咎められたら、まずいと思った。
だが、その生徒達は私たちがそこに居ることに気づきもせず、店の中に入って行った。
少しの沈黙の後、口を開いてくれたのは三輪くんだった。
過去のアニメの話だった。
話題はアニメのことか漫画のことしかないのだ。それが少し歯がゆかったが、何とか話をつなげようと努力してくれているのが嬉しくて、歯がゆさは薄まって行く。
と思っていたら、三輪くんが
「夏休みはどっか行くの?」
と聞いてきた。
「おばあちゃんの所くらい」
と正直に答えた。
三輪くんは
「俺も、お父さんの実家に行くくらい」と答えた。
青空の高い所を、飛行機が飛んで行くのが見えた。
三輪くんは、最後のからあげくんを頬張って、包みをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱まで歩いて行った。
三輪くんは戻ってきて、もう帰らなきゃと言った。
私は、そうだねと言って立ち上がった。
帰り道は反対方向だ。
なんだか去りがたくて、スカートを直したり、重くかかった前髪をいじったりしていたら、三輪くんが
「夏休み、どっか行こうぜ」
と、やっぱり鼻にかかった声でぶっきらぼうに言った。
緊張した声だった。
ビックリした。言葉がまるで胸に刺さるようだった。
「うううう、う、うん、いいよ」
意味無くどもってしまった。
三輪くんの顔が見られない。
私たちは、ラインを交換して、別れた。
夏休み、どこに行くんだろう…。
渋谷とか、原宿だろうか?いや、秋葉原か。それなら、アニメショップなどを見て回ればいいから、間が持たない心配は少ないかもしれない。
帰り道をトボトボ歩きながら、もし海に誘われたらどうしようと心配になった。
水着なんか、授業以外で着たことないし、スクール水着なんかで行ったら超ダサいことはさすがに分かる。それに、痩せなきゃいけないではないか。
ラインが着信した。早くも三輪くんからかと急いで開いたら、お母さんからだった。シラタキを買い忘れたから牛乳と一緒に買って来て欲しいと書いてある。
シラタキは、いい、好きだ。
お母さんとお父さんと、妹と、私は今晩すき焼きを食べる。
普通はその後また変わりない日常が続くが、私は今年夏が来たら、三輪くんと海に行く。
そのことが生きて行くということに確かな手ごたえを与えてくれているようで、私の胸は更に高鳴った。
みんなカルビが好きの、「みんな」に入らない私にも、入る場所があるように思えて。