早速笑えるが今日は仕事をサボった。

 別に体調が悪かったわけじゃない。 

やるべきことがなかったわけでもない。


 ただ、なんとなく気が乗らなかった。 


マックでハンバーガーを食べながら、少しだけ罪悪感を感じていた。 


「俺は真面目な人間だからだろうか」 

ふとそう思った。AIに聞いてみた。

 すると予想外の返答が返ってきた。 

「それは本当に仕事をサボった罪悪感ですか?」


考えてみる。 

たしかに私は、サボったこと自体をそんなに悪いとは思っていない。 

会社に人生を捧げるつもりもない。 

適度にサボることだって必要だと思っている。


 じゃあ、このモヤモヤは何だろう。 


さらに掘り下げてみる。

 すると一つの言葉に行き着いた。 


「評価懸念」 


自分が悪いことをしたから苦しいのではない。誰かを失望させたかもしれない。期待を裏切ったかもしれない。信頼を失うかもしれない。その不安が苦しかったのだ。 


私はサボったことを責めていたのではない。 「サボった自分をどう見られるか」

を気にしていたのである。 



その瞬間、妙に納得した。

 罪悪感の正体は道徳心ではなかった。 

他人から失望されたくない

という気持ちだったのだ。



評価懸念に気づいたらどうすればいいのか


AIとの対話を通じて、今回の罪悪感の正体は「仕事をサボったこと」ではなく、

「誰かに失望されたくない気持ち」

だと分かった。


では、評価懸念に気づいたとき、どう考えればいいのだろうか。


AIからもらったアドバイスの中で、特に印象に残ったものがある。


それは、

「事実と想像を分けて考えること」

だった。



私が感じていたのは、

「上司が失望している」

という事実ではない。

正確には、

「上司が失望するかもしれない」

という想像だった。


「周囲からの信頼を失った」

という事実ではない。

「信頼を失っているかもしれない」

という想像だった。


人はしばしば、事実よりも想像に苦しむ。

評価懸念が強くなっているときは、頭の中で勝手に他人の気持ちを推測し、勝手に落ち込んでいる場合が少なくない。とのこと。


そんなときは一度立ち止まり、

「それは事実か、それとも想像か」

と自分に問いかけてみる。

「実際に失望されている」のと、

「失望されている気がする」のは違う。

その違いを意識できるだけでも、心はだいぶ楽になるらしい。


私は仕事をサボったことに罪悪感を抱いていたのではなく、

失望されたくない自分に反応していただけなのかもしれない

そして、こう第三者的目線で自分を分析することを「メタ認知」と言うらしい。