志木沢 郁(しぎさわ かおる)のブログ

志木沢 郁(しぎさわ かおる)のブログ

歴史小説家・志木沢 郁のブログです。

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(画像、お借りしました)

 

◆以下、個人的な感想であり、見解です。その旨ご承知おきください。

 

さて。巨匠アルフレッド・ヒッチコックの「マーニー」ですが。ちょっとした問題作。というのは、あまりでき

 

のいい映画ではないのだけれども、実にヒッチコックの生々しい「素」がにじみ出てしまったために何だか

 

変な作品になっちゃった、というものであります。

 

冒頭、黒髪の女(←ヒッチコックは黒髪の女が好きじゃない)がしゃなりしゃなりと歩いている。顔は

 

一切見えない。この女がホテルか何かに入り、洗面台で髪を洗う。

 

黒い染料が溶け出し、正真のブロンドがばあっと広がり、そして美の女神の生誕のように・・・女神と

 

呼ぶには親しみやすくて威厳はないのだけれども・・・ぱっと顔をあげた美女の大写し。そう、「鳥」という

 

映画で一躍有名になった、ティッピ・ヘドレン、グレース・ケリーが引退しちゃったあとの「第二のクール

 

ビューティー」にして、ヒッチコックのミューズ、そしてヒッチコックの手の届くところにいた「憧れの女」。

 

この映画はもう、この冒頭のシーンが全てを語っている。

 

この女性は、勤め先でお金を盗むことを繰り返している、いわば犯罪者なのですが、トラウマ持ちで

 

特に赤い色に恐怖を感じちゃう。で、彼女のトラウマに理解の深い社長・マーク(これがコネリーですね)

 

が彼女に関心を抱く。彼は決して彼女のうわべだけを気に入るのでなく、むしろ彼女のトラウマを

 

ほどいていこうと致します。それなのに、彼女を誘ってヨットかなんかに乗せて・・・そして「やっちゃう」

 

(言葉が悪くてすみませんね)。このシーンはすごい変なのだ。トラウマに理解深く、彼女という「人間」を

 

愛し、彼女を救おうとするマークが、おのれの欲望を抑えきれずに「やっちゃう」のはストーリー上、

 

ゼッタイに稚拙であり、筋が通らず、構成が台無しなのであります。

 

昔読んだのではっきり覚えていないのだけれども、多分ドナルド・スポトーの「ヒッチコック――映画と生涯」

 

にも書いてあったと思うのだけども、志木沢は要するに、「我慢できなくなっちゃったんだなあ」と思う。

 

無論、ショーン・コネリーがではない。作中人物のマークが、でもない。我慢できなくなっちゃったのは、

 

レンズの向こうのヒッチコックであります。 ヒッチコックの、ティッピ・ヘドレンに対する欲望が、遂にあふれ

 

出しちゃったのねえ。

 

で、ですね。志木沢が、ショーン・コネリーを「いいな」と思うのは、ここでコネリーは「ここでそういうことを

 

するのは、変だろ」とちゃんと言ったそうです。そうなのですよ。彼女を愛し、その心を開かせようと、

 

慈しもうとするなら、ここでのレイプまがいの「行為」は最もありうべからざる設定なのです。

 

まあ監督と俳優、という関係ではあり、結局そのシーンをヒッチコックは押し通してしまうのですが、コネリー

 

は「意味分らん」シーンを極力愛情をこめて演じております。

 

で、結局はハッピーエンドになるんだけれども。まああんまり上出来でない映画、でございます。

 

ヒッチコックのヘドレンへの妄執はだんだん激しくなってしまって、ヘドレンは結局映画界でのキャリアを

 

諦めてまでヒッチコックと関係を切る。そのあたりは「ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女」という映画に

 

なっているようです(未見)。

 

 ショーン・コネリーがケンカして降りてしまったりしなくて良かったんじゃないかと思います。名作ならぬ

 

迷作ですが、見かけによらず根性のある(だって作品において完走したんですから)ヘドレンを、きっと

 

コネリーはしっかり支えてくれたものと思います。

 

ちなみにティッピ・ヘドレンは山あり谷ありの人でして、後にアフリカでの、ライオンやゾウなどのやたらに

 

出てくるセミフィクション映画「ロアーズ」に、猛獣と生活を共にする家族として出て参ります。この当時

 

ヘドレンが結婚していた相手の、ノエル・マーシャルというのがまた、とんでもないおっさんなのですが、

 

ああ・・・次回はこのヘドレンと「ロアーズ」について書くことにしますかwww

 

志木沢はティッピ・ヘドレンが好きだったので、その生きざまにはなかなか興味を持っております。

 

まだご存命のようですね。ちなみに女優メラニー・グリフィス(シガニー・ウィーバーと共演の「ワーキング

 

ガール」で有名)はヘドレンと最初の夫との間の娘です。

 

うーん、なかなか文法と名将言行録に行きつかないな。・・・まあいいかw

 

(いいかげ~~ん(-_-)/~~~ピシー!ピシー!)という訳で、次回は「ロアーズ」というトンデモ猛獣映画について

 

書こうと思います。あ、文法の方も間をあけず書きたいと願っておりますですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。すみません!!!

 

新装出直しの筈が、この体たらく。

 

言い訳・・・はしますまい。いや、ちょっとだけ。あのね? 無論、基本は怠惰なんだけども。その他にね?

 

あんまりしげしげ更新するとね。なんかツイッターとかでフォローしてくださっているかたが煩わしいんじゃ

 

ないかとか思って躊躇しているうちに日が経つ、というのもちょっと、あります(-_-;)

 

気が弱いのね? 志木沢?

 

さて。文法も、名将言行録も続けるつもりですが、今日はゴメンナサイを言いにきました;;;;

 

ほんと、少なくとも週1くらいで更新したいですね、せめて。

 

◆本日のざつだん

 

 ショーン・コネリーが亡くなりました。生粋のスコットランド人でしたね。聞くところによると、女王に

 

ナイトを貰えることになった時、拒否はしなかったけど、スコットランド人の正装で式に臨んだとか。もしか

 

したらこの画像↓↓がそれかもしれませんです。

 

(画像、お借りしました)

 

うーーーん、似合う。志木沢はかねてから、スコットランド人がキルトの似合うことに感心している。

 

この恰好は、骨格ごつく、堂々たる野人味を含んだケルト男にそれはそれはお似合い。それって多分、

 

日本人の男性なら大概、胴着と袴が似合う、というのと同じだと思う。だって、袴はボリュームがあって

 

ある意味キルトに似てる、いわばロングスカートめいたボトムスですけれども、袴を穿いて女々しく

 

見える人はいませんもん。みんな凛々しくかっこいい。

 

キルトのチェック柄は、それぞれの氏族に固有のものがありますね。その話なんかし始めたら志木沢は

 

いつまでもとうとうとしゃべっていそうなのでやめときますが、このグリーン地のチェックはコネリー家の

 

タータンなんでしょうかね。シンプルですごく美しいですね。

 

 彼はスコットランドの独立支持派だそうなので、ほんとに断固とした筋金入りなのね。

 

でも、スコッチウィスキーの本場の出身だけど、サントリーのウィスキーのCMに出てくれて、それは

 

なんか嬉しい。

 

 個人的に、007はショーン・コネリーにとどめをさす、と思っております。そしてこの人の映画にはいろいろ

 

いいものもあるけど、志木沢の印象深かったのは、ヒッチコックが作った「マーニー」という映画。

 

そのことを、次回しゃべりたいと思います(長くなるので)。

 

ではまた。怠けのお詫びをかねて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスの中から見た、なーんでもなさすぎるイギリス風景w

 

◇やっと涼しくなって参りました。志木沢はこの時期、わざと半袖のものをいつまでも着ていて、酷暑に

 打ちのめされた記憶をその涼しさで打ち消そうとする傾向があります。涼しさを堪能する、とでも

 申しましょうかね。

 最近のできごとは・・・合成皮革のリュックを買いました。動くのが苦手というか、かなり嫌いな志木沢

 ですが、できるだけ散歩ぐらいは行こう、と。それを鼓舞するためにとりあえず雨に強いリュック(雑貨

 屋さんで売ってるようなライトなもの)を買ってみました。志木沢はバッグ◇いなのでね^^

 

◇名将言行録 その2

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 幸村人に語りていはく「およそ家臣ほど油断のならぬものはなし。親子兄弟の間にても偽り多し。

或ひは利に迷ふことあり。しかるに家人(けにん)は血を分けたるにもあらず、ただ恩義に感じ、または

勢に恐れて下知に従ひ、命をもくれることあれば、よく心を用ひ察すべきことなり。

(中略)

 とかくに頼もしく思ひても油断することあるべからず。常に真実を以て理非を考へ、悪しき道に

引き入れず、また悪しきことをなさぬやうに心をつくべし。少しの相談にても、身の楽しみになることを

言ふ時は、その楽しみの筋を計りて、心に叶ふやうにして、身を立てんとするものなり。内兜を

見られて扱はれ者にならんは口惜しからずや。誠を以て国のため、君のためになす者、万人に

一人もあるべからず。重き位にあるとも、かくの如きの境をわきまへ、君をも諌め奉りたし」と。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(訳) 幸村が人に話して言った。「大体、家臣ほど注意を傾注して扱うべき者はない。親子兄弟の

間でも偽りは多い。または利益に惑わされることがある。そうであるのに、(そもそも)家来は血を

分けた仲でもない。しかし家来というものはただ恩義に感じて、あるいは気勢に押されて命令に従い、

命をもくれることがあるのだから、よく心を用いて察するべきことである。

(*このあと中略部分には家来のいろいろな変化のしかた、どういう時に変心するか、どんな気持ちで

主人に媚びるようになるか、あるいは主人を恨んで主人の機嫌をとって不利益になることもある、など

「いい家来」だった筈のものがそうではなくなるケースについて例を挙げて触れています。)

 そういう訳で、家来(の誰か)を頼みになる者と思っても、不注意になってはいけない。いつも真実に

よって良しあしを考え、家来を間違った道に引き入れず、また、間違ったことをしないように気をつける

べきである。ちょっとした相互の話でも、主人が自分の楽しみになることを言う時は、家来はその

楽しみの筋をおしはかって、主人の心に叶うようにして自分の立身をめざすものである。内心を見透か

されて、いいようにされる者になるのは残念なことではないか。誠意によって国のため、君主のために

動く者は万人に一人もないものである。高い位についていても、こうした理屈のあり方をわきまえて、

君主のこともお諫め申し上げたいものだ」と。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 「油断のならぬもの」の解釈がポイントだと思います。「油断」という単語は日葡辞書にも載っていて、

そこには「不注意」と書いてあります。つまり真田幸村は、一般論として「家臣は油断できない相手」と

言っているのではなく、主人が注意して扱わないといろいろなふうに考えを変えたり、自分の出世の

ために主君の本当の利益にはならないことを勧めたり、要は「気をつけて接しないとためにならない

相手だ」ということを説いているのだと思われます。

 これは主君にとってなかなか難しいことを言っていますね。特に、「主人の気に入られないことを

忠言するのは家来にとって難しいこと」であり、一方、「『主人の意を迎える』つまり、気に入られるよう

な行動ばっかりすることは難しくないこと」だから、主人の姿勢次第で家来は真の忠義者ではなく

なってしまう、と言っています。つまり家来というものはちょっと気を許すと「質実剛健な良臣」では

なくなってしまうと。で、その心がけを、家来に対してではなく主君の方のあり方として説いている

ところがなかなかいい。家来に向かって説教するのでなくて、主君の側の扱い方によって家来の質を

維持するべきだ、ということを言っていますね。

 そりゃ、家来は主君の気に入られようとするものでしょう、普通。そこで「気に入られる」ことではなく、

「理非曲直をわきまえて誠心誠意尽くす」ことをモットーとする家来はなかなかいない。だってそれが

主君に受け入れられるとは限らない、もしかしたら「無礼者! 首寄こせ」になってしまうことだって

あり得るのですから。 だから主君は意識的に家来を「自分の機嫌をとるやつ」にしないようにね、と

いう幸村の言葉です。

 「足元を見られてホイホイ乗せられたらまずいでしょ」という言葉が印象的です。殿さまだって、自分

の機嫌をとってくれる家来の方がかわいがりやすいですもんね。

 多分この、「家来の質」を見抜いて大事にして高めていくやり方は、今の世の中にも使えそうです。

 

 

別に内容に関係ないけどウツボカズラ(笑)

 

◇さて古典文法その2。

 今日は、品詞の分類をします。日本語の文法は機能文法ではなく、形式文法です。つまり、働きによって

分けるより、見た目のかっこうによって切り分けていくので、わりかし単純です。で、単語によってはうまく分類できなかったり、学者によって説がいろいろだったり、時代によって変わってきたりするんですけども、細かいことはあんまりどうでもこのページの中ではこだわりません。あくまで、「自力で読む」ことをめざしての

文法ですので。それをやるためには分類は分かってないとダメなのです。

では、紙を一枚用意してください。

 

 

真ん中のスジは無視してね。

 

 

①1/4くらいのところに横線を引きましょう。

 この、上の広い方のスペースが、「単独で使える語=自立語」です。

     下の方の狭いスペースが「単独では使えない語=付属語」です。

 単独で使えるとは、「向こうカラ犬ガ一匹走っテきタ」という文があったとして、「向こう」「犬」「一匹」

「走(る)」(原型)「く(き)(る)」(原型)はそれ一語を言っても使えますけれども、カタカナ書きにした「から」「が」「て」「た」などは、それ一語では使えない、という意味です。まあ世の中には「だろ?」なんていう

おきて破りの文もありますから、より分かりやすくするために、「単独で使えない」を「文頭にもってこられない」と考えてもいいでしょう。

 

 

②今度は縦に線を引いてください。広さは1:2くらいですかね。

  この、向かって左側のスペース(全体)が「活用する語」です。

  向かって右側のスペース(全体)が「活用しない語」です。

 

字が汚いっ!

さあこれで、4つのフィールドができました。

 

 

 よろしいでしょうか。

 スペースA・・・自立語で活用する。

 スペースB・・・自立語で活用しない。

 スペースC・・・付属語で活用する。

 スペースD・・・付属語で活用しない。

この4つが分かればちょっともう怖いものはない。ここで、「ちょ、ちょっと待って。活用って何?」

と思われたかた、正しいです。まだ説明してませんもんね。 

 次から説明していくのですが、長くなるので今日はここまでにします。日本語の、全部の単語は、

この4つのスペースのどこかに必ず入る、と。

 次回は「活用」の話に行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(画像、お借りしました)

 

白萩。きれいです。

 

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◇なかなか涼しくなりませんね。このところ、志木沢は全然ぱっとしていませんw そう言えば、「w」を

 使うのは今や時代遅れのようです。でも、気持ちを表すのにちょうどいいですよねw

 

◇「名将言行録」という本は、幕末の舘林藩士・岡谷繁実(おかのやしげざね)の書いたもの。さまざまな

 古文書などを参考に、長い年月をかけて編纂された、戦国時代の武将から江戸時代の幕閣まで、

 192人の逸話集です。「逸話」なので、歴史的史料としては良質の史料扱いにはなりませんが、

 なかなかに興味深い本ではあります。

 このブログでは、ちょこちょこっと気分に合わせて「つまみ食い」をしてみようと思います。

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●真田幸村(*この名で収録されています。実際は「真田信繁」ですね)

 慶長5(1600)年、 西方での石田三成の挙兵を受けて、会津の上杉討伐に赴いていた武将たち

 は決断を問われることになります。その際、下野・犬伏で真田昌幸、信幸、幸村は去就について

 話し合います。岡谷はこの部分で、信幸が

 「然らば、大人(昌幸)と幸村とは西師に与せらるべし。某は東師に与せん。万一西師利あら

 ずんば、党與の人々必ず戮を受けん。その時に至りなば、某死力をいだし、父と弟との危難にせま

 らんを助けて家の滅びざる様にせんと言ふ」

 (「では、父上と幸村とは西方につけばよろしいでしょう。私は東方につく。万一西方がうまく行かない

  時は、それについた人たちはきっと殺されるでしょう。その時になったら、私は死ぬ覚悟で父と弟が

  危難に陥ろうとするのを助けて、家の滅びないようにしましょう」と言った。)

 と記しています。

 志木沢はこれに感銘を受けました。

 というのは、この、兄弟が二派に分かれることについて、父・昌幸の提案であるかのように書いている

 ものも世にはあるからです。しかもそれが「知将の名案」であるかのように。

  これは言うまでもなく名案でも何でもないですね。双方につくということは、当然そのどちらからも

 「二股!」と非難される可能性がある訳で、そんなのはもし有効ならば誰でも保険をかけるでしょう。

 昌幸が名将なのは、兄弟の考えを双方聞いて、その両方の正当性を評価し、あえてまとめなかった

 ところにあります。

 信幸の発言を受けて幸村は

「もし利あらずんば父と共に同じく戦場の土とならんに、何として助けさせ給ふべき。(後略)」

(「もし西方が勝てなかったら私は父上と共に戦場の土になるでしょうに、何で助けて下さる必要が

 ありましょうか!」)

 と言い返します。

 ここで怒った信幸が「無礼な!」と幸村を斬って捨てそうになり、幸村が「今ここで私の首をはねないで

 下さいよ。幸村は豊臣家のために身を失おうという志なのですから」と言ったところで、昌幸が割って

 入ります。

 「兄弟の争い、おのおのその理あり。太閤薨後この事の起これるは必ず秀頼公のためにする忠に

 あらずと、信幸は思へるならん。幸村が言ふところ我と同じければ、我と共に引き返すべし。信幸は

 これより心任せにせよとて別れにけり」

(「兄弟の争う点は、それぞれに『理』がある。太閤が亡くなって後、三成の挙兵は、決して秀頼公の

 ための忠義にはならないと信幸は判断しているのだろう。幸村が言うことは俺と同じだから、幸村は

 俺と一緒に戻ればいい。信幸はこれから、自分の思うようにせよ」と言って別れたのだった。)

 ・・・注目すべきは、信幸が徳川方についた理由を、三成挙兵の意義を信幸は認めてないのだろう、

 と判断するところです。つまり、昌幸の発言からいくと、「秀頼公の御為」はどっちにしろ第一義であり、

 あとは東西どちらを支持することが「秀頼公の御為」であるか、という「物の見方」なのですね。

 実際のところは、この一件が起こる以前に沼田を自領としていた信幸は、立場的に家康傘下だった

 ので、信幸が東につくのは当然でもありました。ただそこに、「義」はどちらにあるかをそれぞれが

 それぞれの立場から判断したように描き、双方の判断にそれぞれ「理」があると書いた岡谷の書き方

 を、志木沢はいいな、と思います。ここに描かれた三人はそれぞれ「真田」の名にふさわしい描かれか

 たです。信幸が「勝った側」についたために、信幸を凡庸な人間のように描いたり、なんだか面白く

 ないやつと見なしたりする作品も世にはありますね。(「名将言行録」巻之四十より 準拠は岩波

 文庫版)

 

 さて、そうなれば宣伝をしておかなければなりません。

 

(画像、お借りしました)

 

こちら、新品はすでになく、中古か電子版でご覧いただくようになりますが、よろしければご一読ください。

(宣伝のために選んだエピソードではなかったんですけれども、なぜかそうなってしまいました。)

 

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◇という訳で、「名将言行録」パートが長すぎたので、「古典文法の基礎の基礎」についてはほんの

  少しだけ。初めにおことわりしておきますが、このパートの文法は、本当に中学一年生レベルから

 書いていきたいと思います。

  文法をやる目的はただ一つ、古文の原文を自分でもぼちぼち読んでみようかな、というかた、

 読めればもっと楽しいかな、というかたのためのものです。

 

 第一回は「五十音」

 五十音は正しく頭に入っておられますでしょうか。

 ①「行」と「段」

  五十音表というものは、すごく賢くできております。

  a  i  u  e  o という「母音(ぼいん)」と、k  s  t  n  f  m  y  r  w という「子音(しいん)」を組み合わ

  せると、日本語の音(おん)が全部表せることになっております。

  で、「あいうえお」「かきくけこ(k +a i u e o)」「さしすせそ(s+a i u e o)」・・・と縦に見るのが「行」

  「あかさたなはまやらわ」「いきしちにひみ(い)りゐ」と横に見ていくのが「段」ですね。

  まずこの「行」と「段」をしっかりとらえないと、あとで「活用」が出てきた時に困ってしまうので、

  ここが全ての始まりになります。

 

 ②や行とわ行

  上に書いたように、「や行」とはy + a  i  u  e  o  「わ行」とはw + a  i  u  e  o のことです。

  で、これは実際に発音していただけば分かりますけども、「y i 」「y e」はとても難しい発音になりま

  すね。特に「イェ」はまだしも、「y i」を「イ」とはっきり分けて発音するのは難しいです。

  という訳で、ひらがな、かたかなができた時既に、「y i」「y e」は使われなくなっておりました。だから

  「y i」「y e」を表すかな文字はないのです。

  同様に「w u」も、とてもじゃないけど「う」と異なる音として発音するのは難しいです。だから「w u」

  を表すかな文字もありません。

  だからや行は「や✕ゆ✕よ」であり、わ行は「わゐ✕ゑを」なのであります。

  で、「ゐ」「ゑ」がや行だったかわ行だったかごっちゃになるかたは、「を」がある方、と覚えていただ

  けばよいのです。

   ・・・ということは、「ゐ」「ゑ」という字があるからには、「い」「え」と発音し分けていたのか、と

  いうことになりますが、かつてわ行はちゃんと「ワ、ウィ、✕、ウェ、ウォ」と発音されていた訳ですね。

  従って、藤森慎吾さんのおっしゃる「かわうぃーね」は、まさしく「かわゐ~~ね」なのですねw

  なお、普通に古文を音読する時は、わ行の「ゐ」「ゑ」「を」はそれぞれ「い」「え」「お」と発音して

  いいことになっています。

  この「や行」と「わ行」が正しく書けないと、あとで動詞の活用に入った時、完全に困ります。

 

 さて、書いてみましょう。

 

   あ い う え お

   か き く け こ

   さ し す せ そ

   た ち つ て と

   な に ぬ ね の

   は ひ ふ へ ほ

   ま み む め も

   や   ゆ   よ

   ら り る れ ろ

   わ ゐ  ゑ  を

 

   ↑なんでこう、ガタガタしてしまうのでしょうか!? 変ですね(泣)

 

 ③「ん」はない

   本来の五十音表に、「ん」はありません。古文では原則、「ん」という字は書かないからです。

   「む」で表記される場合と、何も書かない場合とがあります。

   「大きなる池あなり」と書いてあったら、それは「あるなり」が音便で「あんなり」となっているので

   読みとしては「あんなり」なのですがこの「ん」は表記としては書かないのですね。

 

 ④「は行」のこと

   上の文中、子音のところで「h」ではなく「f」になっています。ローマ字表記で「は行」は

  「ha hi hu he ho」ですけども。だから「h」でいいんですけれども、古語ではもともと「はは」を

  「ファファ」のように発音していたようなので「f」にしてあります。あまりこだわらなくて結構です。

 

 どうでしょうか。当たり前すぎることしか書いてなかったでしょうかね。でもこんな調子で一から

 やって参ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(画像、お借りしました)

 

火山や溶岩についての話が好きです。

 

゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜・:,。゜・:,。★゜・:,。

 

さて、大変長いことお休みしておりました。実は、単に怠けていたのではなくて、ちょっと考え事をして

 

おりました。・・・というのは。今の人たちはSNSをとても上手に使っておられますよね。そして、

 

その使い方が自分とは少し違うんだなあ・・・と思ったところがあったのです。たとえばツイッターで

 

「いいね」をもらったら必ず返してくれる。そういう形で積極的に関係を作って、フォロワーもどんどん

 

増やしていく。

 

簡単に言うと、そういう使い方をしているかたこそ、今風のSNSの活用ができる人なんだなあ、と

 

思ったのです。志木沢にはちょっとそういうやり方を続けていく能力はないなあ、と感じたのでした。

 

でも、根は嫌いではないことなので、ブログを書くのをやめようとは思いません。ただしこれからは、

 

毎日でも更新しよう! といった意気込みではなくて、もう少し気ままなペースで気楽に続けようか

 

な、と。(ここまで読んで呆れたかたもいらっしゃりそう。だってこれまでもいい加減気ままなペースで

 

しかなかったのに、とw)・・・そう。そうなんですけどね? ちょっと今の人ふうに頑張ろうかな、と

 

思って再開したけれど、 やっぱり自分は今の人ではないし、自分に合った使い方で行こう、と。

 

(主に自分の気持ちの持ち方の問題なんですw)

 

という訳で、これからは気ままに、だけど1回の記事は3つのパートで書こうかな、と思います。

 

①軽い気分コーナー(日常の話や気まぐれな話題) ②「名将言行録」のパート ③古典文法のパート

 

です。という訳で、稿を改めて第一回を始めましょう。

 

これからもよろしくお願い申し上げます。