振り返り投稿です。今回は2015年12月の記事から。
西国巡礼で葛井寺(大阪府藤井寺市)から壷阪寺(奈良県高取町)へ向かう途中、竹ノ内峠を越えました。 この道は日本最古の官道として知られていますが、ここ最近、徳川家康の神君伊賀越えで注目されています。
▲23/7/29産経新聞
▲23/7/29朝日新聞
(23/7/29産経新聞より)
神君伊賀越えとは、本能寺の変(1582年)が起きたときに、堺にいた家康が伊賀を超えて岡崎へ逃げ帰ったことをいいます。
そのルートは、河内を北上して飯盛山から宇治田原を経て伊賀に入る経路が定説とされてきました。ところが近年の調査で、竹内峠を越えて大和に入るルートが新説として注目されています。
逃げるのにわざわざ京都の方角へ進むのは不自然で、この新説ルートの方が現実味があるなと思いました。家康は竹内峠を通ったのかな。
(2023/7/30)