【西国巡礼】159 天津出合~内宮 | バスと献血のたび

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大阪からバスを乗り継いで遠くまで行きたいです。
献血の記録も載せていきます。

路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。

【前回のおはなし】 

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京都丹後鉄道の下天津駅(福知山市)にいます。無人駅の高架ホームにいるのは妻と私だけ。これから福知山市バスで大江駅前まで移動して、大江駅から京都交通のバスで西舞鶴に向かいます。
 
しかし、このルートで進むと大江駅前での乗り継ぎ時間が1時間以上あります。そこで
「それなら待ち時間を利用して観光しましょう」
ということになり、皇大神社(元伊勢内宮)にお参りすることにしました。
皇大神社は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を御祭神とする神社で、伊勢神宮内宮の元の宮(現在の伊勢神宮の場所に遷る前に祀られたという神社)です。

予定していた福知山市バス(上の図の赤矢印)には乗りますが、大江で降りずに元伊勢内宮の近くまで行き、神社にお参りした後は鉄道(上の図の青矢印)で大江に戻るという計画。これならバス乗り継ぎ旅としても下天津~大江~西舞鶴とうまくつながります。

妻はバスと並行する鉄道で元伊勢内宮に向かい、ゆっくり観光します。

 

13時28分発の快速大江山3号が下天津駅に到着しました。

「路線バス(高速バスを含む)だけを使って西国三十三所を巡礼」

というルールを設定した私は同じ列車に乗るわけにはいきません(笑)。
「大江山口内宮で降り、駅からは案内標識に従っていけばいいのね」
といいながら妻は列車に乗ります。
私は「はじめてのおつかい!」に出てくるお母さんの心境であります。
妻「なんでやねん!」
 
妻が乗った列車はトンネルの中へ。
そして私は天津出合バス停に向けて歩き始めます。
 
駅から徒歩約10分で天津出合バス停に到着しました。
これから乗るのは福知山市営大江バスの大江山の家線といいまして、ここ天津出合から大江山の家までの路線です。一日7往復あるのですが、全区間通して運行する便は1往復だけ。つまり天津出合発の便は一日1本だけなんです。
かつては京都交通や国鉄バスが運行していたルートなのですが、それらの路線撤退を受けて旧大江町が町営バスの運行を始め、それが現在の福知山市営バスとなっています。
 
発車時刻の4分前に反対方面(北側)からバスが来ました。回送車ですね。バス停前を通過して南の方へ行ってしまいます。そして数分後、その車両が折り返してきました。バスは下天津駅付近で転回と時間調整をしてきたのでしょう。
2021年3月15日(月)

天津出合 13:46
↓ 福知山市バス 大江バス 大江山の家線
↓ 大江山の家行き 200

大江駅前 13:56

内宮上 14:06


バスに乗るのは私だけです。
乗車時に運転士さんに降車バス停を告げるシステムなのですが、皇大神社の最寄りバス停の名前が分かりません。そこで
「皇大神社の最寄りまで行きたいんです」
とお伝えし、内宮上が最寄だと教えていただきました。伊勢神宮の内宮は「ないくう」ですが、こちらの内宮は「ないく」と呼ぶそうです。
バスの車体には大江町をイメージしたイラストが描かれています。後部に描かれている鳥居と社殿は皇大神社でしょうね。

 

バスは右手に由良川を見ながら国道175号を北上します。しばらく進んだところにある石碑には
「従是北丹後国加佐郡…」
という文字が見えます。どうやらここが丹波と丹後の国境のようです。
 
石碑の先に小さなトンネルがあり、歩道はトンネルに入って行きます。これは北丹鉄道の廃線跡だそうです。北丹鉄道は福知山駅から大江町の河守(こうもり)駅(現在の大江駅付近)までを結んだ鉄道でして、昭和40年代に廃止されています。
そのころ日本鉄道建設公団は河守以北の延伸路線として宮津に至る鉄道を建設していたのですが、北丹鉄道の廃止で直通路線を失い、建設区間を福知山まで伸ばしました。そして完成したのが現在の京都丹後鉄道宮福線なのです。
 
バスは京都丹後鉄道の公庄(ぐじょう)駅の駅前広場に乗り入れますが、乗ってくる人はいません。駅の反対側に在田橋という潜没橋(沈下橋)があり、大江バス二箇下線はその橋を渡るようです。
 
▲こちらはGoogleストリートビューで見た在田橋。バスが走る道に見えませんね。偶然にも宮福線を特急列車が走り、なかなか良い構図になっています。
 
さらに北上して旧大江町の市街地に入りました。大江駅前でも駅前広場に乗り入れます。ここで1名乗車。運転士さんとあいさつを交わしています。おそらく常連さんなのでしょう。
 
ここで妻からメッセージが届きます。
「迷わず来れた
無事に皇大神社に着いたようです。
 
一方、我が福知山市バスは大江町の中心部を通り抜け、関交差点からは国道を離れ府道9号へ。右手に見える川は宮川(伊勢みたい!)です。途中、豊受大神社という神社があり、こちらが外宮にあたるそうです。ちなみに外宮の読みは「げく」です。
内宮上に到着。降りるときに運転士さんが神社への行き方を教えてくださいました。
 
バス停と神社の間には参道の古い街並みが残されています。この道は昔の宮津街道でもあります。宮津と京都を結ぶ道ということで、明治期には宿屋が10軒もあったそうです。
 
西国二十七番の書写山圓教寺から二十八番成相寺に向かう巡礼道はいくつかあり、その中のひとつがこの道なんです。多くの先達が元伊勢にお参りしたのでしょう。
 
皇大神社の石段が始まる地点に杖が設置されています。案内図がいい味出してますね。スポンサーが「織物」「和紙」「清酒」というのもいいですね。宮津街道は石段を登らずに左に曲がっていて、街道を10分ほど歩くと天岩戸神社があるようです。天岩戸神社は元伊勢の奥宮に相当するそうです。行ってみたいですが、時間の都合で今回はパス。
 
皇大神社の石段を登ります。
少し登ってから参道の方を眺めると、昭和以前にタイムスリップしたかのようです。
 
そんな元伊勢内宮なんですが、皇大神社のウェブサイトは意外にもタイトルの文字がPOPなんですよ(笑)。
 
石段の途中に設置してあるベンチで妻は休んでいました。ここから一緒に石段を登ります。
参道は人の気配が全くなかったのに、本殿周辺は団体さんが来られていて、なかなかの賑わいです。
境内は古のたたずまい。鳥居は樹皮を付けたままの杉の木で、本殿は茅葺きの神明造です。
 
境内には立派な杉の木がたくさん。そのうちの一本では上に登って作業している方がいて、驚きました。
団体さんはぞろぞろと天岩戸神社へ歩いていきました。

 

私たちは京都丹後鉄道の大江山口内宮駅へ。

 

ここから大江駅まで戻ります。
 

 

(訪問日 2021/3/15)

 

 

【続く】

 

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