【西国巡礼】106 第二十一番札所 菩提山 穴太寺 | バスと献血のたび

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大阪からバスを乗り継いで遠くまで行きたいです。
献血の記録も載せていきます。

路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。

【前回のおはなし】 

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亀岡駅前からバスに乗って穴太寺に着きました。

"あなおうじ"と読みます。あなおじ、あのうじとも呼ばれてきたようです。

丹波屈指の名刹で、宗派は天台宗。本尊は聖観音菩薩です。705年に大伴古麿によって創建されました。創建当時の本尊は薬師如来だったとか。

そののち、962年(1010年という説も有)に宇治宮成が京から仏師感世を招いて黄金の観音像を建立したと伝わっています。

 

また、こちらは安寿と厨子王が山椒大夫ののところから逃げて隠れたお寺とも伝わっています。

 

バスを降りて北へ100メートル歩くとお寺です。

仁王門の屋根に据えられた鯱が立派ですね。

そして仁王様はどこかしらユーモラス。

 

仁王門をくぐると左手に多宝塔。江戸時代中期に建てられたもので高さは13メートル。

 

では、本堂にお参りします。

正面に掛け仏が見えますね。かなり古いもののようです。粉河寺に立派な掛け仏があったのを思い出します。粉河寺にお参りしたのは3年前。その間に少しずつ札所巡りを進めてきました。

本堂内陣で本尊にお参りします。

 

宇治宮成が感世に聖観音像を作らせ、そのお礼に馬を渡しました。ところが、その馬を手放すのが惜しくなり、京都へ帰る感世を待ち伏せして矢を射たのです。後日、感世が生きているのを知り、また観音像に矢が刺さっているのを見た宇治宮成は自分の行いを悔やみ、その観音像を穴太寺の本尊として祀ったそうです。
この説話から、ここの本尊は身代わり観音として知られています。

 

本尊の御前立にも矢の傷を見ることができます。

 

本堂の西側には涅槃像が安置されています。

この涅槃像は全国で6例しかない貴重な仏像で室町時代の作。、1896年に当時の住職が見つけるまで本堂の屋根裏にあったそうです。

撫で仏として信仰を集めていて、自分の体の悪い部位と同じところと撫でると霊験があると言われています。かかっているお布団は、体の悪いところの治癒に成功した方が奉納したもの。

身代わり仏を本尊とするお寺であるところから、涅槃像も身代わり仏としての役割を期待され、今日まで信仰されてきたのでしょう。

 

お参りを終え、亀岡駅に戻ります。

雨が降ってきましたがバス停まで傘なしで歩きます。大阪の自宅を出たときは天気が良かったので傘を持ってこなかったのです。丹波に来ると天気も変わるのですね。

 

(訪問日 2018/2/24)

 

 

【続く】


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