今しかない! | しげやんの好き勝手

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今日は、紹介するとしたら、今しかない作品を紹介します。

「修羅の門 第弐門」

「愛天明王物語」   両方漫画


修羅の門 第弐門
修羅の門 第弐門です。
できましたらもっとあとに、珠玉の名作として紹介したかったのですが、
残念ながら、こういった形の紹介になってしまいました。タイミング的にも今しかないので…


さて、私が「修羅の門」の回に述べたターニングポイントとは、まさに15巻のエピソードのことです。
そして今明かしますが、あの時言った川原先生が犯したミスというのは、
毅波秀明を出したことです。というか、出すのはいいですが、
九十九と直接、戦わせるべきではなかった…ということです。
もし戦わせるなら、展開はひとつ「瞬殺」!しか、ありえませんでした。
なぜなら、そうしないと修羅の門(第壱門)という作品の重みが薄れてしまうからです。


彼はまさに作品序盤に登場した人物なので、そういう意味では、
九十九の歩んできた道のりを語らせるには、都合のいいキャラであるとは言えるのですが、
戦ってはいけない。なぜなら、
九十九のやってきた戦いの歴史に、修羅の道に、比肩し得る修練などありえないからです。
海堂や片山など、九十九と死力を尽くした戦いを経験した者ならば、
あるいは、そういった(つまり差を詰めるような)修練も、
可能なのかもしれませんが、彼ら以外は不可能。
なので他のキャラは、どれだけ差が開いているか、という方向のみの描写となります。
いや、そうでなければならないのです。でなければ、九十九の戦い、修羅の道が嘘になってしまう。


だとすると、毅波ごときでは「瞬殺」しかない。
もちろん、あれだけの演出をして登場させたキャラを瞬殺というのは、寂しいですね。
ゆえに、出してもよかったけど、戦わせない方が良かったのではないか…と言ってるのです。


最後にもうひとつ。先生の筆が衰えてきたと言いましたが、
(そしてこういったご紹介は、それを裏付けてしまったと言えるのですが)
その鍵となる要因がわかりました。それは、登場キャラクターです。


第壱門で九十九が戦ったイグナシオ以外の相手、特に武道館以降の、
竹海、羽山、飛田、片山、不破、ガンフォード、ローマン、アーロン、アリオス、
マジーニョ、南洋竜、ヴェガリー、レオン。
これらはすべて、それぞれのその部門を象徴するようなスタンダードなキャラクターたち

(多くは実在のモデルがいると言うこともあるが)と言えます。


それに対し、第弐門はどちらかというとストーリー重視で、
その時折、見合ったキャラを作っていたという感じがします。
川原先生が、このブログを見るとも思えないのですが、
その辺を考慮して、もうひとがんばりして欲しいものです。


愛天明王物語
愛天明王物語は、いつどんな形で紹介すれば良いか、散々悩んでいた作品です。
ここだ! …と意を決してご紹介することに致しました。


この作品は、地獄とか、仏とかが登場するいわゆるオカルトの部類に入りますが、
私は多分、オカルトが好きではないのでしょうね。
だから、他にストックがなく、組み合わせる相手がいなかったのです。

しかし、この作品はそういう事(オカルトとかのジャンル)は、あんまり気になりませんね。
なんか、ほのぼのしてて、面白いです。
オチがイマイチなので、良作ですがとにかく紹介したかった。