兎と侍は町へ出る
最近、TVで謎のピアノマンの話題がよく出て来ました。
この方も、ひょっとするとTVで取り上げられるかもしれませんね。
でも、まだ流しの人いるんだ。
昔、広島の薬研堀にも数人いらっしゃいました。
勤めてたバーの近くに、ジョー・デンプシーというステーキ屋さんだったかな?
ホステスさんに連れて行って貰って食べたステーキ、美味しかった。
ちょっと話題が外れましたね。
ごめんなさい。
「♪こんな夜に発車できないなんて~♪」
ネオン輝く新宿・ゴールデン街で、忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」を歌う声が響く。
酔客を心地よい音楽に誘うのはちょんまげ頭の侍とバニーガール姿の「流し」の2人組。
流し歴約8年の鈴木左千夫さん(40)と、バニーガールの女子大生、鈴木詩織さん(19)だ。
彼らを初めて見たのは、動画サイト「YOU TUBE」にアップされている映像作品「兎と侍は町へ
出る」。
今年の横浜市民映像祭「横浜映像天国」でグランプリを獲得した作品で、居酒屋で「ゴッドファーザ
ー」の替え歌を即興で歌っていた。
その姿は、南こうせつやさだまさしの歌を哀愁たっぷりに歌い上げるような従来の流しのイメージとは
全く違い、軽く明るい。
流しも時とともに変化しているのか。
そんな疑問を胸に、夜な夜な新宿ゴールデン街を探し回り、小さなカウンターバーでついに「兎と侍」
を捕まえた。
ったが、26歳で見切りをつけ、当時流行っていた「ねるとんパーティー」を主催する会社を立ち上げ
た。
「お医者さん限定のパーティーを開くために病院に潜入して、手当たり次第に声をかけたりした。」の
だとか。
ねるとんブームの収束とともに1年半で会社をたたみ、教材販売会社で働き始めた。
住宅を一軒一軒回る厳しい仕事だったが、前職で培った話術を生かし営業マンとしてトップセールスを
収めたという。
1年後、「やっぱり音楽で食べていきたい。」と退職。
「営業マン時代の経験が今、役に立っている。流しは歌がうまいだけじゃだめ。営業能力も大事だか
ら。」
そして、お客さんがどんな歌を求めているのかを推察する。
前職で得た能力を余すところなく発揮し、酒場中に響き渡る歌声でお客さんを引き込むのだ。
「流しはまさに天職。」
左千夫さんは、いとおしそうにギターをなでる。
「最近はEXILEのリクエストもありますが、ちょっと難しい。」と苦笑するが、大抵のリクエスト
には応じる。
ラップミュージック、レゲエ、ロックなどジャンルは幅広い。
歌える曲数は800曲以上。
酒場でリクエストされた曲が分からなかったときは「家に帰って練習します。」と努力を欠かさない。
「昔は流しのギターに合わせて歌うことがカラオケ代わりだった。でも、カラオケが普及しているこの
時代に普通の流しをしていてはだめ。」
ちょんまげ姿なのも、チップを受け取るバニーガールを連れているのも「その方がお客さんの受けがい
いから。特にバニーがいると全然違うね。」
「初代バニーガールは大学を卒業後、就職してしまった。」ため、左千夫さんが4月下旬に都内の大学
でスカウトした。
しかし、失礼ながら、40歳のおじさんが19歳の女性を口説き落とせるものなのか。
しかも、仕事はバニーガール…。
左千夫さんは言う。
「コツは、緊張しないこと。そして、自分の目的を的確に、楽しそうに話せばうまくいく。」
さすが元トップ営業マンだけあって、説得力がある。
「はじめはこの人、ヘンだなって。でも、話を聞くうちに、ちゃんとしているなと思った。音楽が好き
なんで、この人についていったら面白いかなと思った。」と詩織さん。
こうしてコンビを組んだ2人だが、さっそく6月上旬にコンビ解消の危機がやってきた。
詩織さんは、バニーガールを始めた当初、父親には「友達の家で課題をするから。」と言って、流しの
アルバイトをしていること自体を隠していた。
しかし、6月上旬に、帰宅が遅いのを不審に思った父親の知るところとなった。
当然、父親は激怒。
左千夫さんは、すぐに詩織さんの実家に向かった。
「おみやげに。」と買った、大人の顔ほどの大きさのメロンとパイナップル。
「つまらないものですが。」と差し出した途端、父親に「つまらないものなら持ってくるな!」と怒鳴
られた。
まさに、ドラマの世界だ。
左千夫さんの必死の説得で、何とか両親の許可は得た。
「でも、バニーガール姿でやっていることは最後まで言えなかった。本当はうそをつかずにやりたいで
す…。」
流しは、お客さんからもらうチップで日銭を稼ぐ。
その額はお客さんの気持ち次第だ。
ちなみに、左千夫さんが今まで一晩に稼いだ最高金額はなんと13万円。
求められれば、デュエットもする詩織さんの給料は、たいてい一晩1万数千円程度という。
以前は沖縄、大阪など各地の歓楽街を転々としていたが、最近は都内を中心に活動している。
「飲酒運転の取締りがきびしくなってから、飲み屋がバタバタつぶれていった。地方の歓楽街では稼げ
ない。」
その上、世界不況の影響もあり、「みんなベロベロになるまで飲まなくなった。今、活気があるのは歌
舞伎町とゴールデン街ぐらい。」
それでも、月に50万程度は稼ぐというから驚きだ。
流しを始めた当初は反対していた両親も「大会社でも簡単につぶれる時代だから、逆に堅い仕事なんじ
ゃあないか、と理解を示してくれている。」とのこと。
「4年以内に紅白に出るのが夢。最近はみんながひとつになれるような曲がないから、おれが作りた
い。」
取材した日、ゴールデン街に飲みに来ていた宮島広人さん(61)は「盛り上げるのがうまい。最高。
有名になったらいいね。」とご満悦の様子。
2、3曲歌えば、ぺこりとお辞儀し、店を去る。
月明かりとネオンの光に照らされながら、ギターを抱えた侍とバニーガールは今日も夜の街をさまよい
歩いている。