理想に燃える教師が考えてること。
①「やっぱり子ども達が好きだし、学級担任とかやって、何かを一緒に作り上げたいかなって」
②「生徒に、勉強分かったって言ってもらえるように、分かりやすい授業がしたい」
③「部活かな。集団で何かを一生懸命取り組んだり、子ども達が活動を通じて人間的な成長を
していってもらいたいと思っている。
まあ、できればでいいけど、一位にはなってみたいかな」
④「行事で燃えてみたい。運動会や合唱コンクールでクラスがひとつになって、みんなで感動を
分かち合いたいな」
実は、、、私が20代の頃によく思っていた、自分が学校でしたいこと、でした。
なんかそのまんま過ぎて恥ずかしい限りですが、真面目に毎日そう考えていました。
上記の「自分でやりたいこと」は、学校で何を学ぶのか、が大前提として、
地域→家庭(保護者)→学校関係者
みんなが共通の「学校で学べる内容」を認識していて、はじめて成り立つものです。
教師がどうすると、子ども達はどうしたくなって、どういういいことがあるのか、
がそろっていなくてはいけません。
上記の私のかつての思いは、具体的に言うと次のような前提がないと
成り立ちません。
上の番号と対応させてみたいと思います。
①「子どもが好き」という献身的な思いを持っていることが大前提。
そして教師も、子ども達も、「一緒に」何かを「したい」と思っている
②子ども達は教師に「教わりたい」と思っている。
子ども達が、教師がそう言ってもらうと嬉しいだろうと思ってくれて、
「分かった!」とわざわざ言ってくれる(笑)状態。
③子どもがそもそも望んでその部活に入部していて、考えの違う集団や教師に
揉まれながら、自分を高めたいと考えている。できれば大会やコンクールで
優勝するなど輝かしい結果を出し、仲間と感動を分かち合いたいと思っている。
④子ども達が、行事は「一生懸命とりくむもの」と理解している。
考え方が様々な子ども達をリーダーがひとつにまとめ、それぞれが自分の
できることで集団に貢献する姿をお互いに認め合い、やはり感動を分かち
合いたい。
なんだか一部、スレた言い方をしてしまったり、「当たり前じゃん」と思われそうな
項目もありますがいかがでしょうか?
これらが、自分が考える、教員にとっての、「学校で学ぶこと」に他なりません。
もちろん、これらは教師にとっては理想的で、教員を務めるモチベーションに
なり得る項目ばかりですが、自分が教員になった頃も、これらはすでに「理想」でした。
でも、この数年間の間、この思いが、さらに教員を苦しめている状況が生み出され
てしまっています。
今、教職員と子ども・保護者との間には、強力な学校の「イメージギャップ」が横たわって
いるのです。
上の項目を「学校に期待していない」のです。
次回は、そのギャップを考えてみることにしたいと思います。