司法試験の勉強をできるか否か、合格するか否かには、自らの努力だけでなく周りの環境が大きく影響する。今でも言われる言葉ではあるが、当時の方がなお「資本試験」の語は人口に膾炙していたように思う。

 

大学に入学してから3年間、バイトくらいはしていたものの、何の憂いもなく勉強し遊んでこれた自分の環境はやはり恵まれたものだったのだろう…

 

この年度が始まる直前くらいに、実家の家業が大きく傾いていることが判明した。

それによりその後、私への仕送りは月に4万円程度となった。そしてこの額は次第に減っていくことにもなる。

当時の家賃が6万円くらいだったので、バイトで最低でも6~7万円程度は稼がないと、勉強云々の前に生活していけなくなってしまう。また、実家へ帰るという選択はこのとき取り得なかった。

しかも間の悪いことに、自分は学部の単位もこれまでそんなに多く取っておらず、あと40単位近くが卒業まで残されている状態であった。

 

このとき、自分は軽いパニックになった。

司法試験は? 大学の卒業は?  

ロー進学は?  その前に日々の生活は?

自分の甘えやメンタルの弱さを思い知らされた。

それでも支えてくれる人がいたから、突然の状況に絶望することなく、やれることをやっていこうという気持ちになれた。

 

まず、バイトを増やさねばということで、新たにコンビニの夜勤を週2程度始めた。

このコンビニは、食事*1もいただけバイトだったので大変ありがたかった。

 

そして、大学については、司法留年ということはもう言ってられないので、とにかくこの年度で卒業することを目標に。

本当は入りたかった司法試験委員の先生のゼミ、挑戦してみたかった卒業論文*2、他にも取りたかった授業など諦め、とにかく卒業だけを考え効率よく単位を取ることを考えた。

 

ロー進学は、実家の家すらどうなるか分からない状態なので、少なくとも次年度に進学することは諦めた。

 

 

こんな感じで整理し、できる限りの時間で司法試験の勉強は続けいった。

この年度の択一は、こんな状況もあり手ごたえを感じることなく、前年度と同じ2点足りず不合格だった。

 

これで、大学を4年で卒業後修習に行くという道はなくなったわけだが、この時点での先の展望としては、とりあえず卒業はするが、1年は就職しない*3。勉強は続けて、次年度合格できればもちろんそれで良し。合格できなければ、家庭の状況により公務員試験や民間就職も視野に、といった感じだった。

 

いずれにしても、このくらいで司法試験を諦める気は全くなかったことは確かである。

 

 

 

 

*1 コンビニで食事が出るというのは、分かる人には分かる話だと思う。これ以上詳しくは述べない…

 

*2 自分の所属していた大学では、ゼミ加入・卒論は任意であった

 

*3 この時はそんなに新卒就活戦線は厳しくない印象であったので、卒業後1年くらい空いても何とかなると思っていた。