鹿越線でキハ40を愛でる朝。東京の喧騒から解放され、たった2往復の列車とのんびり過ごす最高の朝…になるはずだった。


1本の連絡が入るまでは。


…気づけば6人を乗せた車は、芦別岳の麓を離れ道央道を爆走していた。だれも時刻を知らない、たった1本の列車を求めて。







昨晩根室を発った車は、明朝には富良野に着いていた。

この日はのんびり鹿越線を撮ることになっていた。


「朝の1往復目は宗谷色です」日比谷さんがつぶやく。

朝イチの滝川行きは富良野以北で何度か列車交換がある。…北海道色と宗谷色の交換はぜひ撮りたい。


運転は他に任せて、折り返し便のプランを練った。



朝イチの回送は山部で流し。


折り返しをかなやま湖の鉄橋で狙ったが、ボツ。

追走を開始した。


…相変わらず金山ダム周辺は電波が悪い。

ほぼ圏外である。

急ぎで連絡する相手もいないし、大して気にしてなかった。


しかし金山の集落で電波が入るようになった途端、スマホは目を疑うような内容を僕に通知してきた。




「試9951救援だwww」


…はい?

理解が追いつかない。しかし続報は容赦なく襲ってくる。



「キハ261系出場を牽引中のDE10が鹿とぶつかり破損、有珠駅に停車中。函館から救援機が向かってる。」



…え、救援!?


思わず叫んだ。

そして運転手にヨンマル追っかけを中止して即、有珠駅に向かうように頼んだ。


車は線路際から離れ、気づけば滝川のインターにいた。


滝川インターから室蘭本線有珠駅まで約250キロ、全区間高速課金する。


救援機は既に函館を発っており、下手したら数十分で現場に着く状況だという。


再び続報が舞い込む。

「当該は函館に戻る」


…そうか。


突然の函館入りの決定を、当然かのように受け入れた。


車はあっという間に有珠駅に到着した。


…当該列車の姿はなかった。


その後、洞爺、伊達紋別といった待避線のある駅を回ったが、どこにも救援列車の姿はなかった。


ここにきて有珠の隣駅、長和にいるという噂が流れてきた。


長和に向かうと、遂に当該の姿を捉えた!


停められるところに車を回し、駅構内を見渡せる場所に立った。


…しかし、そこに当該の姿はなかった。


自分たちが姿を捉えてから車を回している間に発車した、という事実を理解するには時間がかかった。



しかも当該列車の函館側に機関車は付いておらず、発車したとすれば札幌方面に発車したことになる。

…函館へ戻る、という話と違う。


さらに自分たちが目にしたものを否定するかのように、救援列車の函館着の時刻が知らされる。一方、札幌方面に向かう話は1つと入ってこない。



函館方面に行くか、札幌方面に行くか。


伊達インターの分岐までに、決めなければならなかった。


結局、苫小牧すなわち札幌方面に向かった。


白老インターで降りて、適当なストレートで待ってみることに。

待つこと15分くらいだろうか、、遂に朱色の機関車を捕らえた。


これで大満足。このあとは登別温泉にでも入ってのんびり…となるはずだったが、今日の北海道は我々を休ませてくれない。


…明日石北本線でキハ283の救援があり、救援機送り込み重単が走るらしい!


救援の追走劇で血気盛んになった僕らは風呂にも入らずに再び道央道にいた。


目指すは遠軽駅。



遠軽の街に着くと、空はすっかり夕暮れ模様だった。


遠軽駅構内に機関車の姿はなかった。しかし今回は網走の着時刻を把握している。先行すればいいだけの話。


網走の時刻から逆算して、重単は緋牛内でヨンマルと交換するという予想した。

予想が当たった。

本日3カット目である。


鹿越線→白老→緋牛内というあまりにも非効率な移動をした1日だった。


この日は網走で投宿し、翌日の救援に備えた。


つづく。




オマケ


宿の裏手が網走の車両基地だった。

月島さんと日比谷さんはデーテンのいる1番庫が開くのを狙って耐久していたが、ついに開かなかった。


僕は暖かい部屋で姑息に待機。

2番庫が開いたタイミングを教えてもらい、そそくさと庫内のヨンマルを狙った。




我々は22時30分頃にはヨンマルも撮り終え、部屋で宅飲みモードに突入したが、日比谷さんは23時前まで耐久していたらしい。


月島さんは途中で痺れを切らして部屋に戻ってきたが、日比谷さんはずっと外で耐久していたという。やはり彼は電車だ…




23時頃、唐突に「150+40出庫」というLINEが日比谷さんから届いた時は失礼ながら笑ってしまった。