突然だが、みなさん古いものはお好きだろうか?


車、鉄道車両、芸術作品、建築物。

生命ないものは、持ち主がその気になれば結構長持ちするものだ。



今回紹介するのは、2つほど元号を遡った頃に産まれた、街中の小さな鉄塔に焦点を当てたい。

何の変哲もない住宅街を進むと、その鉄塔は突然現れる。


2人仲良く佇むこの子たちこそが、今回のお目当てた。


都会ではまず見かけない えぼし型鉄塔。

竣工は大正15年、それが2基。


この鉄塔は戦前からこの場所を見守っている。


しかも、山間部で利用されるタイダウン構造が真ん中の線のみであるが採用されている。



番号札。

2回線の相武線を回線ごとに別の鉄塔で支えれば当然2基同じ身分の鉄塔が誕生するわけで、セオリー通り「相武線8号」と番号を振ると「相武線8号」が2基誕生してしまう。

そのため鉄塔番号に甲と乙を付け加え、区別している。


写真右が8-甲、左が8-乙 となっている。

どちらも可愛くて、甲乙つけ難いですな〜(激寒)


この子達のプロフィールをみていく。

甲乙ともに文字が薄れて読みにくくなっている。


東 京 電 力        東 京 電 力

 相  武  線          相  武  線

   8             8

   の             の

   甲             乙          

大 15   12                大 15   12

 15      M                  15      M


とそれぞれ書かれている。

重要なのは下に小さく書かれた2行で、

上段の大15 12 は大正15年12月竣工を意味し、

下段の15 M は鉄塔の高さが15メートルである事を示している。


プレートが示すように、この2人は戦前からこの地に建っているのだ。

こうみると、本当にかわいい。

それぞれ真ん中の線のみ下からも碍子が接続されていて、タイダウン(前述)されている。


……にしても足下が不穏だ。周囲が工事現場と化している。そろそろ建て替え工事が始まるのだろう。


そもそもなぜ、甲乙の2基に分けられたのか。その理由は、この景色を見れば一目瞭然だろう。


相武線の上空を川崎火力3番線(左)とJR武蔵境-新鶴見線(右)が交差しているのだ。


この2系統の送電線を避けるべく、本来は縦に3本電線を通している相武線は電線を横に寝かせたのだ。




利用出来る鉄材に限りがあった戦前に、鉄塔に負荷なくかつ電線を横方向に支持するために採用された形がこれだったわけだ。


真横になり、無事2系統の送電線を潜った相武線はこの8ー1号鉄塔に受け止められ、電線は即座に縦の配列へと戻される。


余談だがこの8ー1号はプレートに大正15年製と刻まれているが昭和22年の航空写真を曰く存在しておらず、戦後に竣工したものと思われる。

また8ー1号がなかった時代は、今では普通の形をしている9号鉄塔が8号甲乙と同じ形であった。


お目当ての物件を無事拝めたわけだが、残念ながらあの姉妹は間もなく解体される。


……では、解体後あの場所に新たな甲乙鉄塔が建つのか。全く違う構造になるのか、解体区間そのものが地上から姿を消すのか。

少し寄り道をして確かめる。


相武線8号の手前、7号鉄塔を見に来た。

大正竣工の8号とは打って変わって、7号は令和元年竣工だ。

この鉄塔は地下へ電線を引き込む構造を備えている。

この時点で相武線地下化フラグ回収しかけなのだが……冷静に地下へ向かう送電路名を確かめよう。


ここに限らず、地下へ引き込む電線にも送電路名が必ずあり、その名は引き込み鉄塔の足元を覗くことで路線名を確認できる。


果たして、路線の名は。



    66kV相武線1番

         相武線No.7〜相武線No.9 6万92


上段は、電圧と路線名、回線番号(反対側に2番回線がある。)、下段は地下を通る区間を示している。


そう、相武線7号から9号の間は地下を通ると宣言している。


これにより、地下区間と並行する8号甲乙と8-1号の完全撤去が確定してしまった。

明確に東電に回答を貰ったわけではないが、鉄塔に明言されては、現実を受け入れるしかない。


7合鉄塔が地下区間の終点と表記していた9号鉄塔を見に来た。


7号と瓜二つ。

本気で地下化しようとしている。ここから地上の既存区間へ電線を戻すようだ。

先述の川崎火力3番線とJR武蔵境-新鶴見線と交差する区間のみ、地下にするようだ。


悲しいが、これが現実。

8号甲乙を見るなら、今がラストチャンスに違いない。