小学生の頃に父母が離婚して、母に引き取られたので昔から「父の日」は苦手です。
私の小さい頃はシングルマザーなんて言葉もなく、「片親」で育てられているというのは、別段 私のせいでもないのに肩身がせまい感じがしたもんです。
6歳で別れた父の顔を描いたら、参観日に来た母が嫌な思いをすると思って父の絵は描きませんでした。するとお調子者のクラスメイトが「なぜ父の日なのにお母さんの顔を書くのか?」と言い募るので子供心に酷いこっちゃあ_と感じたことを覚えています。
まーそんな訳で、旦那さんと結婚した時には子供は「片親」にはしたくないなぁと思っていました。幸い良い旦那さんで真面目で一生懸命な人で、自分も水商売やっていた母親と現場仕事をしていた父親の間に生まれて家庭を大事にしたいと思っていたので、私たち夫婦は子供を大切にして生きていこうとよく話していました。
ところが、結婚13年目に降って湧いたような同居で大事に大事にして来た家庭は壊れてしまいました。彼は自分を育ててくれた両親を捨てられないと言いました。。。
それでも2人の息子にとって父親を失わせるわけにはいかないと歯を食いしばって、子供の前では旦那さんの悪口は言わなかったですよ。離婚してからも卒業式、入学式、運動会、学芸会、息子たちの誕生会には来てくれてました。だから「父の日」には家族で焼肉したりしてました。
何となく、会ってる時の空気感が変わったのは10年以上一緒にいたからわかるものです。「俺、来月 結婚するわー」と9月の終わりに切り出されました。その頃、私は長男の不登校問題で毎日が戦いの日々でありました。実は私はどこか楽天的に向こうの両親が死んでしまえば、旦那は私たちのところに戻ってくると思っていましたので、喪失感は離婚の時以上に深かったです。それでも、私は一緒に暮らしている息子達たちとの生活があるので、それも何とかやり過ごすことができました。また、旦那も回数は減ったものの、二人の息子とは年に数回ご飯を食べたり行事を見にきてくれて「父親」の役割を果たそうとしてくれていましたから。
髪の毛にたくさん白いものが混じり始めていたのを黒く染めたのを見て_子供ができたのだなと思ったのも当たっていました(苦笑)。息子2人だけの父親ではなくなったのが悲しくないように、弟ができたことを笑顔で伝えていつか会うことがあるかもしれない_その時は優しくしてあげるように伝えました。
ある年の2月頃、珍しく健診に行った結果が思わしくないようなメールをもらいました。心配だったので再検査の結果を聞いたところ「別条はなかった」という連絡をもらいましたが、何となく気になりました。5月の運動会であった時に珍しく新しい家庭の話を相談されました。内容は「両親が同居したい_と言ってるがどう思う?」という、それ私にききますかぁ?(爆笑)なことだったので「あなたもご存知でしょうが、あなたのご両親はかなりな感じで困った方達ですが、同じ轍を踏みますか?」と返答したところ、ものすごい鬱な笑顔で「お前が我慢できなかったくらいだもんなぁ」と言いました。これはやばいんじゃーないのか?私の中でガンガン警告音が鳴りました。
旦那はえー格好しいなので、自分が格好悪いと思うような悩みを誰にも打ち明けられない奴なのです。あれは絶対吐き出したい何かを抱えている_そう思えるのに、別れた女房の私には言えないだろうなぁと思い、8月の終わりに共通の友人に京都から出て来てもらって飲み会を開きました。息子2人も連れていきました。結局、奴は誰にも自分の胸のうちを明かしませんでした。浅草の六区の海鮮居酒屋で家族4人で顔を合わせたのが最後になりました。
2人の息子の父親はこの世から旅立ってしまいました。長男が20歳になった時にしみじみ「親父と飲みたかった」と言ったとき、鼻の後ろがツーンとしましたが私は泣きませんでした。次男は親父のいい話しか聞かせていないのでめっちゃファザコンで、親父と息子の感動映画なんか見せた日にゃ、号泣しています。
とりあえず2人の息子は父親を愛してくれているようなので、別れてしまいましたが私のミッションは遂行できたかなぁと思っています。でも本当に望んでいたものとは全く違うので「父の日」は正直きついです。