逸話に見る安岡正篤師一燈照隅 萬燈遍照
安岡正篤師は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照(いっとうしょうぐう・まんとうへんしょう)」とおっしゃっています。
青年を相手に語られた安岡師の言葉に耳を傾けてみましょう。
おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。
この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。
なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのか――とよく考える人がある。
大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。
しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。
つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。
あれは寝言と変わらない。
寝言よりももっと悪い。
なにも内容がない。
自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。
それよりも、自分か居るその場を照らす。
これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。
真実なことだ。
片隅を照らす!
この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。
こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。
(安岡正篤著『青年の大成』より)
世の中を良くするのは主義主張やイデオロギーではなく、公私ともに優れた人物であるとの信念の下、在野に在ってその養成に一生を尽くす。特に国民の幸不幸は政治の影響が大きいとし、政財官界の指導者層の啓発・教化・指導に力を注ぐ。その教えの基本は、日本の伝統を大切にする立場からの東洋的な思想・哲学であった。
昭和20年8月15日正午、天皇陛下の「終戦の詔書」がラジオで放送された。この詔書を最終的に刪修(さんしゅう)したのが安岡正篤である。また、元号「平成」の考案者であり、吉田茂から中曽根康弘に至る歴代の総理大臣の指南番的存在でもあった。
※刪修=不要な字句又は文章を削り取って改めること。
安岡正篤は、なによりも古典と歴史に学ぶこと、そしてそれを実生活の上に活かすこと、つまり「活学」しなければならないと教える。
なぜなら、現代の諸問題も、既に古聖賢哲がその対処・解決法を古典の中に残しているからであると言う。そして、自身が若き日から命懸けで学んできた和・漢・洋の古典と歴史に立脚し、東洋哲学的な観点から、実践的な指針を我々に示すのである。