移り行く落語界 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

移り行く落語界

今日久しぶりに落語通の松山の人と話した。

彼は若いのに昔の落語界に詳しい。

私は65年落語界で生きているがだんだんと移り行く落語界にはついていけない現状だし、息子が落語界に住み生きているので黙っていなければいけない立場になっている。

今日16日は父三代目桂三木助と五代目柳家小さんの月命日である。

私は気がつくと、小さんの晩酌の話し相手だった。

最近99人の壁というクイズ番組を観ている。

クイズ番組は、衰えていく私の活性化の必需品であるが、その99人壁はある一つのジャンルに自信のある人が99人を相手に勝ち抜いていく番組だ。

気になるのは、それぞれが得意分野を示している中に落語というのを掲げている人がいる。

そういう人に私は勝てない。

私の得意分野は、落語家の裏話だ。

当時落語協会会長だった小さんは、ありとあらゆる悩みやニュースを私に話した。

今と違い落語界に大学出が入門してきた時小さんは、大騒ぎだった。

幼い私は何でまた大学出て落語家に?だった。

落語家になるのは、一般社会から遠のくという漠然とした思いがあり、ある意味一芸に秀でる才能は学歴とは違うものだった気がした。

小さんは私が落語を好きになるように一生懸命だった。

いつも持ち歩く巾着には、新札の100万の束一つ。
その新札1枚と引き換えに私は落語を聴いた。

その代表作が、志ん朝さんの「火焔太鼓」だった。

私にとって落語は、お小遣いの一貫だった。

当然のように、小さんの弟子だったさん喬さんや権太楼さんに冷やかされた。

当時は聞くだけで、別に相談相手でもなかったが落語界の上層部も知らない数々の秘密を知っている。

しかし65年生きながら、落語の事はあまり知らない。

99人の壁に落語界の裏事情というジャンルがあれば、ファイナルまで行く自信はある。

移り行く落語界で誇れるのが、裏事情だけ!!というのは情けない。