落語界のご意見番だった時代 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

落語界のご意見番だった時代

昔は、落語界で可愛がってもらっていた。

仲が良かったのは、談志、志ん朝とかで50歳を過ぎても「可愛いでしょう」と言ってくれていたのは、円蔵や円歌さんだった。

そんな中のこぼれ話

志ん朝さんと三木助の二人会が地方で行われた。

たくさんの前座、二つ目が同行していた。

その時志ん朝さんは、B型肝炎で具合が悪かった。

座長は勿論志ん朝

やっと、地方の会館に着いていざ食事

楽屋で蕎麦屋のメニュー

私は、会館の人と打ち合わせで少し遅れて座った。

当然、座長や三木助と席は離れていた。

蕎麦屋のメニューを見ながら志ん朝が面倒くさそうに「あたしゃ、もり蕎麦」と言った。

一同固まった。

みんな腹減っているのに、座長がもり蕎麦

落語界はカースト制度

座長の頼んだものより、高いものは頼めない。

気を使った次の三木助も精一杯で「じゃあ私タヌキ蕎麦」

若い二つ目や前座は、「じゃあ私大もりで」

私は鴨南蛮

そんな落語会の楽屋で、私は志ん朝と二人きりになった。

「さっきのあれ…何?具合悪いのはわかるけど、もり蕎麦は無いんじゃない。せめて天ざるとかで、私は具合悪いから天ぷらは食べておくれ…でしょう」

すると志ん朝ははっと気づいたようで「お姉ちゃんゴメン、だよな…これみんなに」

1万円札を何枚か渡された。

私は急いで両替して、みんなに「志ん朝師匠から、これで何か食べて」と渡して回った。

私は1万円もらった。

勿論志ん朝から

楽屋で三木助にお金を渡した時「姉貴なんか言ったな!!」と笑われた。

長い間志ん朝は、B型肝炎で具合が悪いと思っていた。

しかし、弟子のかみさんがおかしいと気付き、違う病院へ連れて行った時は、すでに遅く肝臓癌の末期だった。

散々一緒に居ながら気付けなかった私も悪かった。

「ちょっとおかしいよ!!違う病院へ行ったら」と私だったら軽くアドバイス出来た立場だったのに

具合の悪さからくる鬱になった志ん朝の愚痴を聞くので手一杯だった。

20年前の話ではあるが悔やまれる。