平成30年去り行く時代に | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

平成30年去り行く時代に

新しい元号となる。

移り変わる時代に私は、つくづく古い落語界しか知らない人間だと思い知らされる。

私に落語家とはこうあるべき…と教えてきたのは昭和を彩る落語家達だ!!

今から40年以上前…今の浅草東洋館はパチンコ屋だった。

談志に言われパチンコ屋で時間を潰していると、柳朝さんや円蔵さんが入れ替わりやって来る。

昔の寄席は誰がトリだかわからないくらい豪華だった。

落語家になるのは、サラリーマンになれない落ちこぼれ!?

五代目小さんは、私が銀行員になった時…落語界から一般のそれも銀行というまっとうな仕事が出来ると喜んだ!!

落語家はまっとうな仕事ではなかった。

学歴も必要なく…

ところが今は大学を出て落語家になる。

大学まで出て落語家になる。

弟三木助の場合は、ちゃんと落語家になれなかった時の為に大学へと小さんが行かせていた。

大学まで出てなる程の仕事ではなかった。

弟三木助の少し前から大学出の落語家が出てきた。

昭和を彩る落語家達は、大学を知らない。

弟はそれを良いことに、夜遊びに行くのに「おじちゃん(小さん)今日学校だから」と嘘ぶいて小遣いをせしめ六本木に遊びに行っていた。

今の落語界とは全く違う。

うちは、八百屋が跡を継ぐみたいに落語家になった。
しきたりも何も変わって行く。

仲の良かった志ん朝さん等今の落語界をみたら「あぁた…時代は変わったね!!お姉ちゃん、今時のわけぇ者は何考えているんだか!?」

志ん朝の口癖は「今時のわけぇ者は…」だった。

そんな人達に落語家のなんたるかを習った私は、時代にとり残された人種だろう。

平成の名人はいるのか!?

昭和の名人、四天王、昭和を彩る落語家達はそれなりの格付けをもらっていた。

三木助は父が昭和の名人

弟が平成のホープ

はてさて五代目は新しい元号で称号をもらえるのか!?

昭和の落語家に、落語道を教わった私は、もう裏方しか道はないだろう。

老いては子に従え

たしなみを持ち、これからの落語界を嘆いて行こう。