談志と私 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

談志と私

弟三木助、五代目小さん、愚息五代目三木助の次に談志

私が初めて談志と口を聞いたのは、21歳の終わり

仲人を頼みに行った時

からかわれた。

「結婚なんかやめちまぇ!!俺の女になれ」

私はうら若き三代目三木助の娘でバックボーンは談志の師匠の小さん

口説いた。

と知ったのは、後年

「あの時マジに口説いたんだ…」と言われたからだ!!

結婚してよく誘われた。

夫は逆らえない。

昼間は浅草が多かった。

寄席の高座の間今は東洋館が寂れたパチンコ屋だった。

パチンコ代をもらってパチンコしていると多分楽屋で「茂子がいる」と喋っるのだろう。

柳朝、円蔵がパチンコ屋に来て自分ではパチンコの玉は買わない。

私から一握り千円で買う。
あの辺は喫茶店などなかった。

というか当時喫茶店はあまりなかった。

柳朝も円蔵も別にパチンコしたくて来ているわけではない。

かまいたいだけだった。

高座に上がる前のひととき。
昔は、トリになるような人がたくさん寄席に出ていた。
夜は毒蝮さん、小島三児さん、内藤陳さんら当時売れっ子のコメディアン達と暴れ捲る。

銀座で飲み、興が乗ると浅草へ

カラオケのない時代

関敬六さんの「浅草の唄」を歌いに行って踊る。

振り付けは談志

奇妙な踊りを輪になって踊る。

そんな日々だった。

僅か半年

私が3階から飛び降り怪我をした。

夫だった人は、それを談志に伝えに行った。

談志は黙ってその事を聴くと苦痛に顔を歪め、いつまでも前に座る夫だった人に「あっちへ行け!!」と怒ったそうだ。

それが幕開けだった。