五代目柳家小さん5 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

五代目柳家小さん5

私はそれなりに嫁に行った。

嫁いだ先の咄家の家は、食えない前座、二つ目の溜まり場となった。

現在の円楽さんもその一人だった。

真ん中が麻雀

奥が酒飲みとポーカーの混合

毎日が賭け事

当代三木助の襲名披露興行で林家ぺーさんがゲスト…入っていた。

開口一番「三木助さん、おめでとうございます。三木助さんと言えば、お母さん麻雀好きなんですよね!!」

40年前ぺーさんも麻雀仲間だった。

とにかく咄家の溜まり場で私は夫たる人とあまり口を聞かずに過ごした。

しかし、翌年の正月紋付きの支度が出来ていないと喧嘩が始まった。

それが、私の結婚の意味を考えるきっかけとなった。

三木助を継いでもらう当初の計画は、弟が咄家になり挫折

毎日毎日賭け事の日々

小さんの誕生日の1月2日の夜

仲間を連れて酔って帰ってくだを巻く夫に嫌気が差した。

夫は酒癖が悪かった。

「私は実家に帰る」で玄関を数人が抑え真ん中で宴会が始まった。

一番奥に追いやられた私は窓から雪を見ていた。

深く降り積もる雪

とっさに行ける!!と思った。

実家へ帰ろう。

私は3階の窓からヒラリと飛んだつもりが思わぬ大怪我をして入院

同じ年の1月18日

暮から悩み続けていた小さんおばちゃんは、脳に瘤が出来、それが破裂して亡くなった。

おばちゃんからずっと悩み事を相談されていた私は、入院先の病院でそれを知り泣き続けた。

搬送先の病院で意識を失ったおばちゃんは、植物人間になるか管を抜き静かに旅立つか

小さんは管を抜く事を選択
口は悪いが優しかったおばちゃん

昭和53年

小林家は最悪の船出を迎えた。