五代目柳家小さん3 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

五代目柳家小さん3

昭和47年8月大学進学を夢見ていた私は、一瞬にして夢を砕かれた。

弟盛夫が「18歳になったら、免許を取り外車を買う」と言い出した。

勿論弟は自分で外車を買うのではない。

母の懐を当てにしている。
こりゃたまらん!!

その時弟は、私立立教高校でお洒落を磨いていた。

私は進学を諦め就職を選んだ。

たまたま、学校に来ていた就職案内でまだブランドが認知される前に、ピエール・カルダンのデザインの制服を着用できる富士銀行(現みずほ銀行)を見つけた。

学校の推薦枠は1人

すぐさま担任に頼み手続きをしてもらった。

面接に行き帰ってきたら「内定」

私は富士銀行に入行が決定した。

お金を扱う職場なので、しっかりとした保証人が条件だった。

保証人は小さん

私の保証人欄には、豊島区目白柳家小さんと書かれた。

通常は柳家小さんではなく、小林盛夫だろうと言いと豊島区目白小林盛夫では誰だかわからないだろうと押しきられた。

小さん夫妻は私が一流企業へ入れることをまるでお祭り騒ぎのように喜んだ。

落語家の家から、一般のサラリーマン…ましてや一流企業とは

人から見れば、人間国宝、落語協会会長と押しも押されもしない立場かもしれないが、小さんからすると一般人は憧れだった。

「茂子が銀行に入る」は瞬く間に吹聴された。

そして私の職場にやって来る。

銀行からすると有名人

有名人からすると銀行で私がいじめられはしないか!?

どうしたら、可愛がってもらえるか!?

多額の預金を積むことと銀行員を接待することが小さんの頭でリフレインしていた。

私の就職は、小さんに取って鼻高々だった。

こうして私は銀行員となった。

そしてその銀行に二人の小林盛夫が現れる…一人は多額の預金。


もう一人は、ありもしない預金を下ろしに来た。

「預金下ろして下さい…姉貴の」

てんやわんやの銀行員生活だった。