五代目柳家小さん
これは、ちょっと長くなる。
約40年親代わりだった人だから
もともとは、父三代目桂三木助と兄弟分の盃を交わし、弟分だった。
父の死ぬ間際「もいちゃん(本名小林盛夫)子供たちを頼む!」と言われて、ずっと頼まれちゃった人である。
幼少期、まだ世間は外食が月に2回ぐらいに対して私達は月5、6回外食だった。
行くのは、上野の伊豆栄
うなぎの老舗だ♪
今でも、うなぎは一人前8000円とかの高級うなぎだ。
そこで私達が食べるのは、殿重
うなぎの2段重ね
寿司は目白のよし寿司(現皇太子、秋篠の宮御用達)
後は焼き鳥、中華は上野の高級店
行きたくてもステーキやイタリアン等なかった…
私の外食文化の礎は人間国宝であり、長期化した落語協会会長の五代目柳家小さんに作られた。
たまにくれる小遣いは、1万円
多分1万円札しか持っていなかったのだろう。
私が小さんとの行動を嫌になったのは、永谷園のCM
「あさげ」をやりだした頃だ。
ほとんどの方は知らないだろうがテレビドラマの先駆者でもある。
石坂浩二さんのデビュー作NHKの「太郎」
何故印象的かというと、5年生の遠足で私はみんなに石坂浩二さんのサインを頼まれた…
「お前のところに来るおじさんテレビ出ているだろう。」
もうこのあたりからうざったかった…挙げ句「あさげ」
まだCMの有り難さを知らない私は道行く人に「あっあさげだ!!」と一団にされるのが恥ずかしかった。
外食を1万円に変えてもらって私は私立の中学受験に精を出す!
約40年親代わりだった人だから
もともとは、父三代目桂三木助と兄弟分の盃を交わし、弟分だった。
父の死ぬ間際「もいちゃん(本名小林盛夫)子供たちを頼む!」と言われて、ずっと頼まれちゃった人である。
幼少期、まだ世間は外食が月に2回ぐらいに対して私達は月5、6回外食だった。
行くのは、上野の伊豆栄
うなぎの老舗だ♪
今でも、うなぎは一人前8000円とかの高級うなぎだ。
そこで私達が食べるのは、殿重
うなぎの2段重ね
寿司は目白のよし寿司(現皇太子、秋篠の宮御用達)
後は焼き鳥、中華は上野の高級店
行きたくてもステーキやイタリアン等なかった…
私の外食文化の礎は人間国宝であり、長期化した落語協会会長の五代目柳家小さんに作られた。
たまにくれる小遣いは、1万円
多分1万円札しか持っていなかったのだろう。
私が小さんとの行動を嫌になったのは、永谷園のCM
「あさげ」をやりだした頃だ。
ほとんどの方は知らないだろうがテレビドラマの先駆者でもある。
石坂浩二さんのデビュー作NHKの「太郎」
何故印象的かというと、5年生の遠足で私はみんなに石坂浩二さんのサインを頼まれた…
「お前のところに来るおじさんテレビ出ているだろう。」
もうこのあたりからうざったかった…挙げ句「あさげ」
まだCMの有り難さを知らない私は道行く人に「あっあさげだ!!」と一団にされるのが恥ずかしかった。
外食を1万円に変えてもらって私は私立の中学受験に精を出す!