一家博打打ちの筈が | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

一家博打打ちの筈が

父三代目桂三木助は、博打打ちだった時代がある。

通り名は「隼の七」

本名小林七郎からきている。

私にパチンコを教えたのは、五代目小さん夫人

勿論チューリップの時代

私に麻雀を教えたのは、弟

高校生だった。

立教高校の仲間で遊ぶ金欲しさに当時銀行員だった私からカモろうという計画だった。

私は父の血を受け継ぎ、博打の覚えは早い。

麻雀もすぐに覚えた。

高校生相手に私は、習ったばかりの麻雀で勝ち捲った。

計画では、私からカモる筈だった悪童共は払う現金がなかった。

そして私は咄家に嫁いだ。
たまたまなのか、嫁いだ家は咄家のたまり場となった。

2DKのマンションに、キッチンは荷物置き場

真ん中が麻雀部屋

奥がトランプと酒飲み場

麻雀部屋には、私、円楽が二つ目、今の師匠馬生が前座…後は林家ぺーさんら常連

先代の志ん五始め、さまざまな咄家のたまり場だった。

毎日毎日…博打の日々

やがて離婚

私は再婚して今の五代目を授かった。

息子が小学生の頃私はポーカーを教えた。

10円で

すると、血筋だろう。

熱くなった息子は、その日寝かしてくれなかった。

私は、とことん博打を教えた。

しかし、そのトラウマか!?

五代目は、博打をしない。

聞いたら「熱くなるから…」

だから、博打で負けて泡を食う「看板のピン」のオチがいまいちだ!!

四代目桂三木助は、「看板のピン」を得意ネタとしていた。

今時の咄家は、どうなのだろう。

昔は、集まれば博打や酒

志ん朝師匠の家も全自動の麻雀卓

鏡張りの博打場

飲む、打つ、買うが芸の肥やしの時代は終わったのか!?

違法賭博場への出入りは禁止だが、何処かの咄家の家で遊んでいるのか!?

息子が遊ばないから情報は全く入ってこない。

咄家の昔と今。

全てに変わった。

私の知っている落語界は、四天王の時代

志ん朝、談志、円蔵、円楽
移り変わって15年

10年一昔

数は増えたけれど…時代は変わったのだろう。

息子が博打しない分、母はせっせと博打している。

通り名は「まむしのお茂」

あまり粋じゃない!!