稀有な人生 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

稀有な人生

私は三代目三木助の長女として生まれた。

父三代目三木助の最盛期だったのだろう。

弟子は10人以上いた。

その頃父は芸術協会に属していた。

しかし父は、古典芸能の宝庫落語協会に移りたかった。

「芝浜」で芸術祭も取っていた。

父は、芸術協会を出て一匹狼となりNHKの「とんち教室」を糧に寄席へ出ることもままならず、ホール落語だけだった。

しかし桂文楽師匠の肝いりで晴れて三木助を信じてついて来た3人の弟子と落語協会へ

その生活も謳歌しないうちに胃癌で他界した。

幼い子供を残して、どんな気持ちで逝ったのだろう。

後を受け継いだのは、柳家小さんだった。

小さんが庇護する三木助の子供たちは落語に興味なければ、小さんの立場もわかってなかった。

落語協会会長の小さんは三木助の子供に甘かった。

そして私が立教に入った弟の金遣いの荒らさに富士銀行へ入った。

小さんの身内から誰一人一般人はいなかった。

ましてや富士銀行…一流企業だ。

銀行だからお金を扱う。

よって保証人は家族ともう一人

小さんは張り切っていた。

保証人豊島区目白…柳家小さん

そこは、本名だ。

「おじちゃん、そこは本名だよ!!」


「バカ野郎…小林盛夫なんて書いたって誰だかわからないだろう。」

こうして私は社会人になった。