桂文楽 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

桂文楽

私の父三代目桂三木助は、芸術協会から一時退避した。

博打が元で東京で咄家生活が出来なくなった。

母仲子と26歳も離れ42歳の時16歳の母に一目惚れした。

「立派な咄家になったら嫁にする。」という約束を信じて父は大阪へ渡り、二代目桂三木助の弟子となる。

そうして、東京でも咄家生活が出来るようになり、困惑する祖父母をよそに所帯を持った。

当時から芸術協会は、新作主体の傾向だったらしい。

「芝浜」を作り替え命を芽吹かせた父は、古典落語一本で行きたかった。

NHKのラジオ番組「とんち教室」で橘円(たちばなのまどか)という名前だったが急成長した父は吉本興行からかなりの額で三代目桂三木助の名前を買い襲名


「ねずみ」「宿屋の仇討ち」と古典を磨き上げると芸術協会では満足出来なかった。

協会に所属しない者は寄席には出られないのを承知で芸術協会を飛び出した。

しばらくフリー

そんな父を見かねた文楽師匠が働きかけ落語協会へ

文楽、志ん生、円生、と肩を並べる勢いだった。

落語協会て仲良くなった小さんと兄弟分の盃を交わし久保田万太郎さんから「このところ 良いことづくめの 春弥生」と言われたが今から56年前胃癌で他界した。

暮れの「芝浜」は私にとっても嬉しい。

埋もれていた「芝浜」を復活させた父を誇りに思う。

同時に父を落語協会へ入れてくれた文楽師匠にも感謝だ。