噺家の訃報 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

噺家の訃報

1番記憶にあるのは円生師匠の死だった。

折あしく。円生師匠の死は上野動物園パンダと被った。

一面はパンダに取られて、社会面に円生死すと載った。

その間様々な噺家の葬儀に四代目桂三木助の名代で行った。

近い駅から「落語協会」と書かれた提灯ん持って前座が誘う。

次に亡くなったのは、四代目三木助

派手に正月の松飾りの取れない中「自殺」


綺麗な顔していた。

速報も流れたらしい。

フラッシュニュースにもなった。翌朝の新聞を買いあさった。スポーツ新聞一面は「天才落語家の早過ぎる死」と書いてくれた。

マネージャーは気を抜けない。

通夜、葬儀をやらせて貰えなかったので16日、父の命日にオークラで「ミッキーを送る会」をやった。

一般参賀も同時だった。

たくさんの方々が集まってくれた。

そして送る会

私が初めて涙したのは、49日法要だった。

次に朝様、

三木助死後9ヶ月だった。

1年半で小さん

どれも扱いは大きかった。

続く談志

何か談志で落語界は終わったようだった。

1番大きかったのは、三木助

自殺だったから

でも私は、その新聞を弟三木助に読みきかせて「この扱いなら良いよね。」

最後の仕事

「ミッキーを送る会」

それが終わって49日

私は心から泣いた。

傍についていながら、何も気づかなかったのか?

国士館のセクハラに心を奪い取られていた。

悔やんでも悔やみきれない。

14年私は弟桂三木助を忘れた日はない。

弟三木助が私にこうあってほしい…を精一杯生きるだけだ。