落語協会分裂騒ぎ | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

落語協会分裂騒ぎ

昭和52年か53年か

柳家小さんが怒っていた。

「円生さんが何を言っても大量真打ちは作る。落語が好きだってだけで、上手い噺家、売れる噺家にならないんだ。どぶはさらわなきゃいけないんだ」っと言っていた。

その時は何の事かわからなかった。

私は、その時噺家の娘で姉で妻で姪だった。

柳家小さんが腹のうちを明かせる姪だった。

すると噺家が騒ぎ出した。

落語協会離脱

大量真打ち反対

まず志ん朝師匠が火の手をあげた。

続く談志。

円蔵。

落語協会の目玉が、会長小さんに刃向かった。

落語協会分裂騒ぎ

野次馬は、やいのやいのと大騒ぎ。

しかし、事は席亭の一言であっという間に終息した。

会長小さんに刃向かった者は寄席には出さない。

刃向かったのは、たいてい弟子を多く抱える大御所だった。

騒ぐだけ騒いじゃったから後へ引けない。

そして新聞にデカデカと「志ん朝涙の記者会見」

刃向かった者は、まるで極刑にあったようにマスコミの前にうなだれて並ぶ。

やいのやいの騒いでいた弟子達も同様だった。

「弟子達から寄席を取り上げる訳には参りません。」涙ながらに志ん朝師匠


苦虫をかみつぶしたような談志、円蔵

落語協会最悪なる幕引きだった。

己の芸に自信はあれど、弟子から寄席という修業の場を取り上げる訳にはいかなかった。

弟子のために己を捨てる大御所達

まぁ最後は、師匠のために修業の場を取られた立川流も出来たが…

落語協会の内側を知るのは私一人だろうと、此処に記す。