茂子ママ | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

茂子ママ

銀座のクラブのオーナーママだった談志の娘弓ちゃんは、要介護5になった談志の介護の為銀座のクラブは私が引き継ぐことになった。


もちろん無料である。

往復のタクシー代も自腹

銀座のクラブは、談志に連れて行って貰った。

もちろんバブル全盛期は、銀座のクラブで派手にやったこともある。

一流企業の社長の小指が、銀座の一流クラブのホステスだった。


クリスマス…その社長に頼まれてホステスの着物を見に行った。


そしてたまげた。


真っ白な着物に前は、トナカイに乗ったサンタクロース。

後ろは紋代わりにツリー

私は、そのホステスに「これって生涯一度しか着られないよね。」

「もちろんです。」

うわーバブリーって思い出はあるが銀座には、小さな店から大きな店…何百あるかわからない。

弓ちゃんの店は噺家談志の娘の店がうたい文句だった。

しかし、介護で店に出られない。


白羽の矢が当たったのは私…茂子ママだった。

とにかく計算計算計算

まずテーブルに付いたらご挨拶

「私三代目桂三木助の娘でございます。」

すると客は素早い反応

「なんで三木助師匠のお嬢さんが此処に?」

「談志とは芝浜繋がりでございます。」と言ってボトルを見る。

半分以下なら行ける。

「好きなもの飲んで」に「じゃあ私ストレート」サイドホステスは客に水割りを作る。

私にはストレートグラス。

「乾杯」ってストレートを一気。

サイドホステスはグラスにウイスキーを

途中で様々な会話しながら、ボトルを空ける。

空けたらシャドーだ。

シャドーとは、シャンパングラスに入ったサイダーだ。

一応値段はシャンパンだ。

「今日はほんとありがとうございました。」と客を送り出すまで茂子ママ。

客を送り出したら、バーテンに水を貰って酔い醒まし。

そういう日々を重ねて来られたのは、「うちのパパってほんと茂子さん好きね」って呆れ顔の弓ちゃんがいたからだった。

談志は、もう隠せなかった。

最後には家族がパパは茂子さん好きだからって余命も教えてくれた。


だから存分に尽くすことが出来た。

続く