昭和の名人の生き残り | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

昭和の名人の生き残り

文楽、志ん生、円生師匠…小さん、三木助この人達に直に触れ実際に接した人はもう我が母仲子しかいない。

私は志ん生師匠の記憶は無い。

物心ついて円生師匠とは、ハワイで落語聴いた。

何故ハワイかと言うと日航が主催した日系人の為の円生師匠、先代の円楽師匠と当代の円楽さんとハワイへ行き無理矢理聴かされた。

小さんおじちゃんの落語は小遣い銭欲しさによく聴いた。

志ん朝師匠の落語は9日間毎日違う噺を聴いた。

談志師匠の噺も対面落語で聴いた。

多分落語ファンだったら、のけ反るような体験だっただろう。


昭和の名人全ての噺を聴いている仲子は、落語ファンにとっては、うらやましい人かもしれない。

文楽師匠の膝に乗り昭和の名人に囲まれた私も幸せなのかもしれない。

稽古を付けて貰う訳じゃない談志師匠の対面落語に「次へっついいくか…」に「もういいよ!」なんと貴重な時を無駄にしたんだろう。

私の1番楽しかった落語は浅草で毎日ネタを変えてくれる志ん朝師匠の落語だった。


今考えれば、天下の落語界のプリンスが私の為だけにネタを変えて高座に上がってくれていたのだ。

私は落語界の四天王達と楽しくパチンコしたり、食事したり随分と可愛がって貰った。


人間国宝から小遣いもたくさん貰った。

こんなに落語界で楽しく過ごしたのは、多分私だけだろう。

そんな落語界で息子は苦戦しているのだろう。

仲子、茂子と落語ファンに羨ましがられる人生を送り、その孫、息子はじっくり頑張っている。

不思議な世界だ!

昭和の名人を知る生き残りも、間もなく85歳を迎える。

最近時々思う。

母も陰の落語界の重鎮だったかもしれない…と