陰の力
今日は、三代目桂三木助の妻だった母仲子の84歳の誕生日である。
この母の力は、現在の落語界に多大な功績を残させた。
父三代目桂三木助は、母に巡り会った頃、落ちぶれて日本舞踊を教えながら博打三昧だった。
16歳だった母を見初め嫁にしたいと想いたったが母の親戚に「立派な噺家になったら嫁にやる」と言われ一大奮起して上方に噺家の修業に行った。
つまり東京では誰も相手にされないくらい堕落していたらしい。
そこで、修業を積み上方の噺を引っ提げ父は東京にもどり、母を妻にした。
そして、上方で師匠だった桂三木助の名前を吉本興業から買い…今まで三題噺として日の目を見なかった「芝浜」を完成させる。
その他上方から持ってきた噺に「ねずみ」やいろいろ(談志師匠に聞いたが忘れたf^_^;)を江戸落語の領域を拡げた。
もし仲子と父が出会わなかったら…私達も生まれていなかったが「芝浜」は埋もれたままだったかもわからないし、江戸落語も幅が狭かったかもわからない。
本人は、そんな事少しも知らず、誕生日のケーキのご帰還を待っている。
この母の力は、現在の落語界に多大な功績を残させた。
父三代目桂三木助は、母に巡り会った頃、落ちぶれて日本舞踊を教えながら博打三昧だった。
16歳だった母を見初め嫁にしたいと想いたったが母の親戚に「立派な噺家になったら嫁にやる」と言われ一大奮起して上方に噺家の修業に行った。
つまり東京では誰も相手にされないくらい堕落していたらしい。
そこで、修業を積み上方の噺を引っ提げ父は東京にもどり、母を妻にした。
そして、上方で師匠だった桂三木助の名前を吉本興業から買い…今まで三題噺として日の目を見なかった「芝浜」を完成させる。
その他上方から持ってきた噺に「ねずみ」やいろいろ(談志師匠に聞いたが忘れたf^_^;)を江戸落語の領域を拡げた。
もし仲子と父が出会わなかったら…私達も生まれていなかったが「芝浜」は埋もれたままだったかもわからないし、江戸落語も幅が狭かったかもわからない。
本人は、そんな事少しも知らず、誕生日のケーキのご帰還を待っている。