立川談志 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

立川談志

最後に会ったのは、7月7月27日だった。


娘の弓ちゃんから携帯電話に連絡があり『パパが銀座のバーに行きたがっているのだけど、茂子さん来てくれない?』と言う連絡があった。


その銀座のバーは私と談志の思い出の詰まったバーだったので私はすぐに化粧してタクシーで駆け付けた。


内儀さん、娘息子に医者看護師に囲まれた談志がいた。


私はとても歓迎され談志を中心に左隣内儀さんで私は談志の右隣に座らせて貰った。


私が座るや否や談志は筆談用のメモに『芝浜なんざぁおもしろくねぇ!』と書いた。


私に水割りが届くと談志は乾杯して自分の水割りを飲み干した。


つまみに胡瓜やプチトマトが出ると談志がトマトを食べたがった。

家族全員それを押し止める。
しかし談志はヘタの付いたトマトを食べようとするので私はヘタを取ったトマトの皮を出す事を条件に手渡した。


家族は心配気だった。3日前も薄いステーキを喉に詰まらせ救急車で病院へ運ばれたらしい。


しかし談志は私の差し出した手の平にちゃんとトマトの薄皮を吐き出した。


そしてまた水割りを飲む。


『パパちょっと飲みすぎじゃない?』弓ちゃんの言葉に談志は良い気持ちで酔っているし、楽しいと表現する。

水分がうまく吸収されないのか涙を流す。
私は丁寧に涙を拭いた。


その姿を見ていた弓ちゃんは『茂子さん私達の介護グループに入らない?』と誘いを受けるがとてもとても談志の介護は並大抵の事ではないので断る。


水割りを4杯飲んだところで談志は弟子と息子さんに抱えられ帰って行く。


ボードには『茂子またな』と書かれていた。

お内儀さんだけは、たまにはゆっくり飲みたいので『茂子ちゃん付き合って』と言われ私は師匠がタクシーに乗り込むのを見て『またね!』と元気よく握手して手を振った。


その後私はお内儀さんからまさかの報告を受ける事になるとは予想もしていなかった。

続く