立川談春師匠 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

立川談春師匠

ただ今、愚息三木男が稽古をつけて戴いている方…

三木助の姉として、この方に会ったのは平成12年11月1日…三木助が亡くなる2ヶ月前である。


三木助が主催した『六本木寄席』のスケ~つまり助けに来た方
ゲストと言う訳ではなかった。


その時、モギリのスケがヤスこと三木男だった。
高校生のバイトだった。


三木助は少しでもヤスに落語を触れさせたかったのであろう。
法外なバイト料を払っていた。


談春師匠とは、『六本木寄席』を最後に三木助の姉の座を降りた。


次にお目に掛かったのは、一昨年の歌舞伎座『談志・談春親子会』だった。


一昨年の夏私は鬱病の真っ最中だった。
しかし、その前年から談志師匠は『茂子の子』なる前座を見つけて『稽古をつけてやろう!』となった。

談志師匠推薦『生きてみよ ツマラナイと思うけど』を読んで下さった方は、お分かりだろう。


この『茂子の子』を皮切りに私と談志師匠は、急速に昔に戻った。


此処から談志師匠は『お前が移した訳のわからない病』と私に言い出した。


気分が乗らない!私は移してはいない。
しかし、責任を感じて極秘にセッティングされ談志師匠の元へと馳せ参じる。


歌舞伎座の時もセッティングされ馳せ参じた。
歌舞伎座の楽屋で出番を待つように控室にいた。


その控室の前を袴が通りすぎた。
そして袴はバックして来た。
と、同時に控室の土間に誰かが土下座した。


『ははぁ~』


水戸のご老公に悪事を見つけられた悪代官のようにその人は見えた。


『ん?誰?』と思った瞬間『知らぬこととはいえ失礼致しました。』談春師匠だった。


挨拶された…と言うか土下座された私は、ただの二つ目の母に成り下がっていたから驚いた。

以来どうも談春師匠には弱い。
先日の紀伊國屋でも二人して米付きバッタのように挨拶を繰り返す。


談春師匠(^O^)/
もう私は、三木助の姉の座から滑り落ちましたよぉ~

いまどき、立川流の二つ目さんだって、私をあのようには扱わない!
もう良いんですよぉ~


単なる二つ目の母ですから(^^ゞ