落語界の歴史が動いた。 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

落語界の歴史が動いた。

父は、未練を持たず芸術協会を出る事を決意した。


落語協会の受け入れは出来ていなかったが、芸術協会を出たい!と言う思いが先行した。


ここで父三代目三木助は寄席と別れなければならない。
自分より弟子達の事を考えなければならない。


11人いた弟子に『俺は芸術協会を出る。つまり寄席には出られなくなる。お前達も噺家だ!寄席を取るか、俺を取るか好きにしろ』


結果8人が芸術協会に残った。
父が嘆いたのは、先代柳橋だった。
目をかけ育てたにも関わらず即刻芸術協会に残るとの返事だった。


今の扇橋、小はん、木久扇を連れ父は芸術協会を出た。


しかし、文楽師匠や志ん生師匠の東西奔走のおかげで落語協会に入れた。


驚いたのは、芸術協会に残った弟子だった。
師匠を裏切り、芸術協会に残ったことは肩身の狭い思いなのに、『あっ』と言う間に落語協会に師匠は入った。


こんな事なら師匠に付いて行けば良かった!と思っても後の祭。


所属協会を飛び出した先駆者は三代目三木助だった。

父は義理人情に厚く、残った弟子を可愛いがったが、造反した弟子に対して一切縁を切った。


落語協会に入った三木助は、文楽、志ん生、円生、小さんと芸を競い合うべく精進した。


三井の大黒、人形買い等上方噺に手を入れ、へっつい幽霊の賽の振り方は円生師匠と『あれは芸じゃない!玄人だ。』に文楽師匠は『本物なんだよ!三木さんは…』と物議まで醸し出した。