派遣の言い分 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

派遣の言い分

派遣スタッフの身でありながら、派遣会社とは無縁に仕事をしてきた。

私への指揮命令権は銀行本部にあったからだった。
進退窮まった私の相談にのってくれたのは、銀行の上司高岡だった。

『おさめるのも勇気です。我々もまだ貴女を必要としている。一旦は派遣会社に詫びを入れてください。騒がせたのは事実ですから…平澤部長は僕に泣いて詫びた。しかし僕は泣くのは卑怯だ!と言って非難しました。~これを、きちんと詫びて新たにやりましょう。僕も一緒に詫びに行きますから!』高岡に対して、納得出来た訳ではなかった。

派遣会社への詫び…騒がせた元は派遣会社にある!という点は譲れないという葛藤はあった。

しかしたった一人の派遣の進退を多くの銀行員が見守っていてくれた。
上司の高岡もともに行く!と言ってくれた。

私は敗戦の玉音放送を聞く国民の気持ちだった。

『耐え難きを耐え、偲び難きを偲ぶ~』
高岡と二人汗だくになりながら㈱アウ゛ァンティスタッフに向かった。

暑がりの高岡は、9月の大手町を私を気遣いながら歩いた。

高岡は派遣会社の場所を知らなかった。
来る必要等ない立場だったからだ。私も知らない。

散々迷いながら、㈱アウ゛ァンティスタッフに着いた。
待っていたのは、常務取締役と平澤部長、件(くだん)の『何やったって』発言社員だった。

応接室で高岡が口火を切り、私の分と銀行の非も詫びた。
そこまで、詫びるか?と言うほど詫び、相手にも詫びさせた後強烈な一発を噛ました。

『私共は~御社なら間違いないと信じて本部直属唯一無二の小林をお任せしたのです。それが、このように足を運ばなければならなくなるとは…以後充分に留意して戴きたい。』

帰りにお茶を飲みながら、またすぐに仕事の話しだった。
私はこのアツイ上司が好きだった。

しかし昨年の労働審判でこの一件は『突然派遣の就労を終了する』輩のように答弁書に書かれていた。

私は私なりに理由があって辞めたくなりました。また応接室では㈱アウ゛ァンティスタッフも自らが蒔いた『ご迷惑』と認識していましたが時が経って忘れちゃったのかしら?

たかが派遣~されど派遣の困難はまだまだ続きます。