派遣の言い分(なんと言われてもフィクション) | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

派遣の言い分(なんと言われてもフィクション)

茂子は学生時代を暗く過ごした。

茂子は母親から『お前は器量が良くないから仕事に生きなさい!』と言われつづけた。

器量が悪いと言われたら、おとなしく、ひっそり生きるしかない。

学生時代から直帰直行が癖となる。
浮いた噂も立たない番茶も出花の18歳。
突然就職を思い立った。

母親一人に苦労をかけて、ぬくぬくキャンパス生活を送っていると、弟の行く末が心配だった。

当時、弟盛夫は憧れだった立教高校に入って金が掛かりそうな気配を醸し出し(かもしだし)ていた。


思い出したら、即実行を旨とする茂子は学校の就職相談に行き、まだブランドもの等流行らぬ時代に、ピエール・カルダンの制服に憧れて高尾銀行を選択した。
学校推薦も付き、高尾銀行の就職は決まった。

親戚には噺家かマスコミか新派の名優と言われた大矢市次郎…まともなサラリーマンの見当たらぬ中、当時銀行勤務は茂子の家に取っては万々歳だった。

後に人間国宝となる噺家の叔父は『保証人は俺がなる!』と張り切って、後々茂子の働く高尾銀行の支店長らに神楽坂で芸者上げての接待をする。

茂子は『普通』に憧れ『普通』に叔父の接待を見ていたが、就職先のお偉方に神楽坂での芸者遊びは行き過ぎではないか!とは思えない人間形成だった。