派遣の言い分(フィクション) | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

派遣の言い分(フィクション)

茂子は『普通』に憧れていた。
どうも今まで人生を振り返ってみると、はみ出しているような気がしているのだった。

茂子が生まれた家は噺家の家で、生まれた時から弟子がいたし、父は53歳で生まれた娘である茂子を溺愛した。

遠い記憶の中に父はいるが、それが本当の父の姿なのか…本で読んだ父なのか、或いは芝居になった父の姿なのかは茂子には解らなかった。

父は茂子の6歳の誕生日に他界した。

その日から徐々に茂子の日々は変わっていくが、『三つ児の魂、百までも』の例え通り、茂子の人生は6歳までの父の溺愛と弟子にかしづかれた日々が後年まで付いて廻る。

父は細かな字で日記を書く人だった。
その日記を辿ると父の茂子への溺愛ぶりが窺える。

毎朝茂子と遊ぶ…で始まる日記は、弟盛夫が生まれ参加すると、茂子、盛夫と遊ぶに変わり癌との闘いの中でも父の唯一無二の時間となる。

茂子の父はオシャレな人だった。
昭和30年に皮のコートの裏に狼の毛皮を張り、粋に羽織る。


しかし、その父も寄席に茂子をネンネコ半纏で背負い、連れて行く。
『お父ちゃんに似た子だ』等と言ってくれようものなら日記に『あいつは良い奴だ!』と書く始末だった。

寄席の楽屋に赤ん坊を連れ込まれ、皆困っただろうに誉めると喜ぶ名人に『よく似ている!』『可愛いじゃないか!』と、いうしかなかったが茂子はお世辞にも可愛い子ではなかった。