:血の系譜 (降格人事)
お別れ会では多くの方にご出席戴いた。
石田純一さん、『笑点』ご出演の方々、楽太郎師匠は最初の旦那様の友人でもあった。
印象深かったのは、志ん朝師匠の
『これからは三木助の分まで頑張る!』
と言うスピーチと最後皆様を送り出す太鼓は小朝師匠自らが叩いて下さっていた事だった。
小朝師匠は三木助が亡くなった事を自分に言い聞かせるように力強く太鼓を叩いていた。
小朝師匠のおかげで私は三木助にあの世で顔向け出来るようになった。
そこからは、香典返しが始まる。
そんな中やっと談志師匠のスケジュール調整がつき師匠と会える事になった。
待ち合わせは銀座の行きつけのクラブだった。
約束の時間少し前に着き、待っていると『茂子!』と呼ぶ声がして振り返ると談志師匠が立っていた。
私は止まり木から降り師匠に近付くと、ものすごい力で抱きしめられた。
『辛かったろう!悲しかったろう!よく生きていてくれた。エライ、エライ。』
力一杯抱きしめながら耳元で談志師匠が褒めてくれた。
その日は一日談志師匠は私の手を握ったり腕を組んだり私を離す事なく銀座のあちこち連れて行ってくれた。
帰り道
『困ったり、辛かったら~すぐに連絡するんだぞー』
談志師匠は温かな、とても温かな人だ。
考えてみると我が家の男性は皆3月生まれだった。
父が3月28日、弟が3月29日、愚息が3月19日…そして父も弟も1月に亡くなっている。
先日その話しを友人にしたら
『本当だねぇ!みんな3月に生まれ、みんな1月に死んじゃったねぇ』
としみじみ言われたが~別にみんな死んではいない。
愚息三木男はまだ生きている。
『まだ生きているよ!』
と言うと
『えーっ誰が?』
と聞き返された。
そういう、とんちんかんな人が周りにいっぱいいるから私が激しく見えるのだろう!
周りがもっとしっかりしていてくれていれば、私も静かに暮らせる!…と言う発言をしたら、とんちんかんの代表のようなチョンという元書生~今もやっぱり書生という立場のチョンに
『無理!無理!』
と言われた。
『そういう事を言っているから君は書生から、はい上がれないのだ。』
と私はそう言い放った。
よく考えると私くらい年が経つに連れ、落語協会で地位の下がる人も珍しいと感じた。
普通は長年いるとそれなりに地位や立場が上がる。
しかし私は昔名人三代目桂三木助のお嬢様~若手真打ち四代目桂三木助の姉となり今や悲しいかな、二つ目桂三木男の母と年々落語協会での立場が降格していく(゜ーÅ)ホロリ
悲しい人生だ。