血の系譜(葬儀までの時間) | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

血の系譜(葬儀までの時間)

2001年1月5日の寒い夜菩提寺の観音寺で通夜は行われる。

故桂三木助儀通夜告別式と書かれる事もなく、落語協会と書かれた提灯で駅から寺まで弔問客に 『ご苦労様です。』 と言って案内してくれる人もいない。

ひっそりと世を偲ぶように通夜は取り行われる筈だった。

1月5日納棺の際、可愛がっていた何人か柳家の弟子が手伝いに来てくれた。

しかし棺に遺体が入らない。


死後硬直と背が高かった為だった。


葬儀社の係員が弟の頭を無理矢理入れようとする。


傍らにいた三三さんや喬太郎さんが 『やめてくださいよ!』 と係員に代わり、優しく納棺してくれた。

そこへ警察から遺体検案書が届いた。


死亡推定時刻3日6時…私の目覚め歯を磨いた時間だった。


何故あの時、車を見た瞬間何も感じなかったのだろう。


『じゃあな!』軽く右手をあげ照れたように天国へ旅立って行く途中私を起こしたのだろうか?

スカイコーポレーションの須藤さんと小杉さんはマスコミを寺に入れない計画中だった。

私は前日大阪から駆け付けてくれた父の弟子だった『カーカ』の好意で少し横になる時間があった。

カーカが私に代わり三木助の枕辺で線香を絶やさずにいてくれたのだ。


しかし夜中に玄関の外でお経を唱えてくださるファンの方に


『夜分ですので響きますから』


と、お引き取り頂いたりと忙しかった。

眠る事こそ出来なかったが、身体を休めることは出来た。

夕刻時間となりハイヤーが迎えに来た。


家から寺まで一本道だった。


須藤、小杉から道の途中マスコミが張り付いているから…と注意を受けた。

再び私は見えない鉢巻きを締めた。


喪服には三木柏が付いている。


心配顔の須藤、小杉さんに頷くと私は車に乗り込んだ。

菩提寺に向かうハイヤーはまるで特攻隊を乗せた特攻車と化した。

息子を助手席に乗せ、母と私は後部席だったが車内は私の叱咤激励の嵐だった。

『うなだれない!』


『しっかり前を見て!』


『猫背になっている!』


たった15分の道のりに、三木助の遺族は毅然としなくてはならないのだった。

菩提寺に着いてホッとする間もなく私は仰天する。